著者:江戸川乱歩 1926年9月に春陽堂から出版
人でなしの恋の主要登場人物
門野(かどの)
お屋敷の一人息子。美男子。作中に下の名前は出てこない。
門野京子(かどのきょうこ)
門野の妻。19歳で嫁入りした。作中の語り手である〈私〉。
立木(たちき)
安政の頃の人形師。
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1分でわかる「人でなしの恋」のあらすじ
〈私〉は十九の歳に門野家に嫁ぎました。
夫は大変な美男子でしたが、事前に噂で聞いていたような変人ではなく、〈私〉にやさしくしてくれました。
義理の両親もよい人たちで、〈私〉はしばらくの間、夢のような新婚生活を送っていたのです。
しかし、半年ほどたったころから、〈私〉はしだいに夫の態度に不信感を覚えるようになりました。
夫は〈私〉を愛している、というより、愛そうと努力しているだけのようでした。
夫が本当に望んでいるのは〈私〉ではなく、別の女なのでは? 夫は夜になると、土蔵の二階にあがって読書をします。
その様子が変なので、ある時、あとをつけてみると……。
江戸川乱歩「人でなしの恋」の起承転結
【起】人でなしの恋 のあらすじ①
これは十年以上も前に亡くなった夫にまつわる話です。
〈私〉が門野の家に嫁入りしたのは、十九の歳でした。
門野の家は資産家です。
夫はすごみのある美しい顔立ちの殿方でした。
家に引っ込みがちで、女嫌いとの噂もあり、間に立つ仲人が縁談を承諾させるのに苦労したそうです。
〈私〉も結婚前はどんなにか苦労するだろうか、と不安でした。
しかし、無我夢中で婚礼をすませてみると、夫は噂ほどの変人ではなく、ものやわらかな男で、夫の両親もよい方々です。
日がたつにつれて、〈私〉は夫に夢中になっていきました。
〈私〉は夫に恋をしたのです。
夫は〈私〉を可愛がってくれました。
いえ、可愛がりすぎてくれました。
あとから思うと、夫は〈私〉を可愛がる努力をしていたのです。
婚礼から半年ほどすると、〈私〉は「変だな」と気づきました。
夫は〈私〉を愛しているのではなく、愛そうとしているだけだということがわかってきたのです。
夫婦の営みをしていても、夫の心は別のところにあるような気がしました。
夫の目は〈私〉を見つめながら、実は冷たい目で遠くを見つめているのです。
夫の〈私〉への愛がさめて、別の女へ向き始めたのかと、疑いを持ちました。
けれど、夫は家にいることのほうが多く、外出するといっても、行先は知れています。
こっそりと日記や手紙、写真などを調べても、なにも見つかりません。
ただ、夫は、結婚前は土蔵の二階にこもって読書するのが趣味でした。
書斎では気が散るらしいのです。
結婚してからしばらくは土蔵に近づかなかったのですが、半年ほどたって、〈私〉が疑惑を持ち始めたころから、再び土蔵に入るようになったのでした。
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【承】人でなしの恋 のあらすじ②
奇妙なことに、夫が土蔵へ行くのは、決まって夜更けでした。
ときには、床についたあと、〈私〉が寝ていることを確かめて、こっそりと出ていきます。
そのまま戻ってこないのを不審に思った〈私〉が、縁側に出てみると、土蔵の窓に明かりが灯っているのでした。
夫の疑いを抱いたのが中秋の名月のころで、ついに夫のあとをつけて土蔵に入ってみたのは、秋の終わりごろでした。
夜の十時ごろで、夫の両親も召使いたちも寝静まっています。
闇夜の庭をこわごわと歩いていき、やっとのことで土蔵にたどりつきました。
中は真っ暗で、かび臭い。
手探りで梯子段に近づいてみると、二階の落とし戸が閉まっています。
そのために暗いのです。
その上、梯子段をのぼって落とし戸に触れてみると、上から締りをしてあるではありませんか。
耳をすませると、男女二人の話し声がかすかに聞こえてきます。
女が「奥様にすまない」などと言っています。
女が夫にもたれかかる気配さえも感じ取れました。
いまの〈私〉ならば、その場に殴りこんだでしょうが、当時小娘にすぎなかった〈私〉は、おろおろするばかり。
そのうち、落とし戸のほうへ近づいてくる足音が聞こえました。
〈私〉は梯子段を急いでおりて、土蔵の外で様子をうかがいます。
夫は出てきましたが、不思議なことに、いくら待っても、女は出てこないのでした。
その日以来、〈私〉はたびたび夫のあとをつけて土蔵へ行きました。
しかし、男女二人の睦言は聞こえてくるものの、土蔵から出てくるのは、やはり夫ひとりなのです。
〈私〉は夫の出ていったあとの土蔵を探してみたのですが、女の影も形もありません。
そうしてある晩のこと。
夫が土蔵で逢瀬をしたあと、蓋がしまる音と、錠をおろす音が聞こえたのでした。
【転】人でなしの恋 のあらすじ③
土蔵の二階にあるもので、蓋や錠前というと、長持ちしか考えられません。
〈私〉は、夫の愛人が長持ちの中に隠れているのだ、という考えに取りつかれました。
翌日、夫の手文庫から鍵を盗み出した〈私〉は、土蔵の二階に上がりました。
そこには先祖伝来の長持ちや書物、掛け軸の箱、葛籠などが、骨董屋のように並んでいます。
とりわけ不気味なのは、鎧びつの上に二つの飾り具足が、まるで生きた人間のように腰をおろしている姿でした。
小さな窓から差しこむ光は弱く、部屋の隅は薄暗い。
そんな薄気味悪い部屋ですが、嫉妬に狂った〈私〉は、気味悪さをこらえ、いくつもの長持ちを開いていったのです。
初めのほうの長持ちには、古めかしい衣類や夜着などが入っていました。
最後に開けた長持ちには、白木の箱が積まれ、箱の中には雛人形が入っていました。
しばらくの間、雛人形に夢中になっていた〈私〉でしたが、長さ三尺を超える大きな白木の箱に気づきました。
表に「拝領」とあります。
開けてみると、一体の人形が入っていました。
あとで知ったところでは、殿様から拝領した品で、安政のころの人形つくりの名人、立木の作だそうです。
人形は身の丈三尺余りの女児です。
手足も完全にできており、頭は島田に結って、友禅を着ています。
安政のころの作でありながら、近代的な顔立ちをしています。
まっ赤な唇、ぱっちりと開いた二重瞼、唇以外の肌が妙に青ざめ、肌がヌメヌメと汗ばんで艶めかしく見えるのでした。
〈私〉は悟りました。
夫はこの人形に恋をしているのだと。
夫は初めから蔵の中で読書などせずに、ずっとこの人形と逢瀬を重ねていたのでしょう。
〈私〉が聞いた女の声は、夫が出していたものと思われます。
夫は、人形に夢中になる一方で、罪悪感を覚え、普通の女を愛する人間になろうとして、〈私〉と結婚したのでしょう。
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【結】人でなしの恋 のあらすじ④
この話には、まだ続きがあります。
〈私〉は夫を殺したのです。
いえ、直接手を下したわけではありません。
間接的に殺してしまったのです。
このことは、これまで誰にも話したことはありませんでした。
亡き夫への罪滅ぼしのつもりで、これから話します。
夫の愛人が人形であることを知った〈私〉は、非常に口惜しい思いにかられました。
生きた女ではなく、泥で作った人形に負けたのかと思うと、口惜しく、こんな人形に夢中になる夫がうらめしく、はては、人形を作った立木という人形師さえもうらめしい。
そのとき〈私〉が考えたのは、この人形をこわしてしまえば、夫は思いをよせる相手を失って、人でなしの恋からさめるだろう、ということでした。
その晩、もう一度、夫が人形と逢瀬をするのを確かめた〈私〉は、翌朝、土蔵に入ると、人形をこわしました。
めちゃくちゃに引きちぎり、目も鼻もわからないくらいに叩きつぶしてやったのです。
まるで轢死人のように首と手足がバラバラになった人形の骸を見て、ようやく〈私〉は胸がすっとしたのでした。
さてその晩、夫はいつものように〈私〉の寝息をうかがったあと、土蔵へ向かいました。
夫はどうするだろう、と〈私〉は考えました。
バラバラになった人形を見て、知らんぷりを決め込むのか、かんかんに怒って〈私〉をたたくのか。
しかし、ずっと待っていても、夫は戻ってきません。
待ちきれなくて、〈私〉も土蔵へ行ってみることにしました。
土蔵の明かりはついています。
二階に上がってみると、夫と人形の二つの骸が折り重なっていました。
そばには日本刀が転がり、あたりは血の海です。
呆然と立ち尽くしながら、〈私〉は見ました。
〈私〉がもいだ人形の首。
その唇から、血が垂れて夫の腕へとかかり、人形が断末魔の不気味な笑いを浮かべているのでした。
江戸川乱歩「人でなしの恋」を読んだ読書感想
この作品は、発表された当時よりも、むしろ現代のほうが、共感を得るかもしれません。
というのも、美少女のフィギュアをそばに置いていとおしむ男性とか、かわいらしい顔のラブドールをリビングのソファに座らせて「オレのヨメ」と公言するような男性とか、いわゆる人形フェチの男性のことが、雑誌などにとりあげられているからです。
そういう人形フェチにとって、本作の主人公の気持ちは、わがことのようにわかるのではないでしょうか。
主人公の男性は、単に人形の愛好家というのではなく、人形に恋をしてしまった男です。
こんな自分ではダメだという思いがあるから無理やり結婚しましたが、やはりあの人形がよい、人形のことが忘れられない。
そうして再び人形を愛でているうちに、妻の悋気にふれて、最後は悲惨な結末を迎えるのです。
ラストでの、人形が生きているかのような描写には、ゾッとさせられました。
もちろん、そこにいたるまでの、土蔵の不気味な様子など、細かでリアルな描写が、妖しい恋の模様を盛り上げるのに役立っていることは、言うまでもありません。