押絵と旅する男 江戸川乱歩

江戸川乱歩

江戸川乱歩「押絵と旅する男」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

押絵と旅する男の主要登場人物

私(わたし)
小説の語り手。作中に個人名は出てこない。

男(おとこ)
汽車のなかで出会った四十歳にも六十歳にも見える男。作中に個人名は出てこない。

兄(あに)
男の兄。明治二十八年当時で二十五歳。作中に個人名は出てこない。

八百屋お七(やおやおしち)
押絵の娘。十七、八に見える。

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1分でわかる「押絵と旅する男」のあらすじ

〈私〉が以前、魚津へ蜃気楼を見にいった帰りみちでの話です。

夕方に乗った汽車には、〈私〉のほかにはひとりの男がいるばかり。

男は持っていた額を、窓に向けています。

奇妙に思った〈私〉は、男に声をかけ、額を見せてもらいます。

そこには御殿の絵が描かれ、娘と白髪の老人の押絵が入っていました。

男は、絵の由来を語ります。

三十余年前、男の兄は、町のなかで目をとめた娘にひとめぼれし、恋煩いしました。

兄は遠眼鏡を使い、とうとう娘を探し出すのですが、それは、覗きからくりのなかの、八百屋お七の押絵だったのです。

かなわぬ恋を、無理にもかなえようと、兄はひとつの思い付きを行動に移します……。

江戸川乱歩「押絵と旅する男」の起承転結

【起】押絵と旅する男 のあらすじ①

奇妙な乗客

ある温かな薄曇りの日、〈私〉は蜃気楼を見に、わざわざ魚津まで出かけていきました。

浜の松並木には、多くの人が集まり、おしだまって海を見つめていました。

海は灰色に凪いで、広大な沼のようです。

蜃気楼が見えました。

はるか遠い能登半島の森林が、眼前の空に、はっきりしない形で拡大されて現れます。

蜃気楼の距離感はあいまいで、そのために非常な不気味さを覚えます。

三角の形が積み上がったり、くずれたり、横にのびたり、とさまざまな形に変化していきます。

〈私〉は二時間余もその様子をながめた後、夕方六時ごろ、魚津の駅から上野へ向かう汽車に乗りました。

乗ったのは二等車で、乗客は〈私〉と、向こうの隅の席にいる男だけでした。

親不知の断崖を通過する頃、夕暮れが迫ります。

向こうの隅にいた男は立ち上がり、窓に立てかけてあった額を、風呂敷に包み始めました。

古めかしい背広姿の男性で、四十歳にも六十歳にも見えます。

お互いに目が合って、少し会釈します。

駅を二、三、通過するうちに、外は真っ暗になりました。

〈私〉はどうにも気になってしかたがなく、男のほうへと歩いていきました。

男は機先を制して、風呂敷で包んだ額を指し、「これがごらんになりたいのでしょう」と言います。

〈私〉が「見せてくれるのですか」と訊くと、「よろこんで」という返事。

男は風呂敷包みをといて、額を出しました。

そこには、泥絵の具で、歌舞伎芝居の御殿みたいな風景が描かれ、そのなかに、押絵細工のふたりの人物がいました。

白髪の老人がすわり、振り袖姿の十七、八の美少女が、老人のひざにしなだれかかっている、という構図です。

泥絵の具の背景画は雑ですが、押絵の人物の細工は非常に精巧です。

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【承】押絵と旅する男 のあらすじ②

遠眼鏡で見る押絵

〈私〉は、その額を見て、奇妙な印象を持ちました。

押絵の人物が、ふたりとも生きているように感じられたせいです。

生きた瞬間の人形を、そのまま板に貼りつけ、永遠に生きながらえているかのようです。

〈私〉がなにか感じ取ったのに対し、好意を持ってくれたらしい男は、古風な遠眼鏡を出して、〈私〉に勧めました。

少し離れたところから、遠眼鏡でこの額を見てごらんなさい、というのです。

ところが、少し離れたところまで行って、〈私〉が遠眼鏡を覗こうとすると、男は悲鳴のように叫ぶのです。

「いけない。

それでは、逆さだ」と。

〈私〉は、間違って、遠眼鏡を逆のほうから覗こうとしていたのです。

それにしても、こんなちょっとした間違いが、叫び声をあげるほどのことなのか。

理解できないながらも、〈私〉はすなおに、男の言う通り、順方向に持ち替えて、遠眼鏡を覗きました。

焦点が合うと、押絵の娘は、実物大の、生きた人間として見えました。

生気に満ち、胸の脈打つ音さえも聞こえます。

娘は、白髪の老人とふたりで、別世界で生きて、暮らしている、という印象です。

ただ、奇妙なことに、幸せであるはずの白髪の老人は、悲痛と恐怖のまじった、苦悶の表情を浮かべているではありませんか。

〈私〉は見ていられず、遠眼鏡から目を離しました。

男は「ふたりは生きていたでしょう」と言い、白髪の老人の身の上話が聞きたくないか、と訊ねます。

〈私〉が、聞きたい、と答えると、男は話し始めました。

白髪の老人は、男の兄だそうです。

三十余年前の、明治二十八年のことです。

男と兄の家は、日本橋にある呉服商です。

当時、浅草の見世物小屋が立ち並ぶ近くに、凌雲閣という十二階建ての建物ができていました。

兄は遠眼鏡を手に入れたところで、毎日のように、その凌雲閣へ出かけていきました。

【転】押絵と旅する男 のあらすじ③

兄が恋をした娘

兄がおかしくなったのは、明治二十八年の春、遠眼鏡を手に入れて間もないころです。

家では部屋に閉じこもり、考え事ばかりしています。

やせ細って、顔色も悪い。

そうして、午後になると、決まってどこかへ出かけます。

心配した母が、あとをつけるようにと、弟である男にいいつけました。

男があとをつけていくと、ハイカラな洋服を着た兄は、馬車鉄道で上野へ向かいます。

男は人力車に乗って、あとを追います。

上野で降りた兄は、てくてくと浅草まで歩き、見世物小屋の並びを通って、凌雲閣に入っていきます。

頂上へ上って、遠眼鏡を使い、浅草の境内を眺めまわしています。

男はとうとう兄に声をかけ、何をしているのかと訊ねました。

父母が心配していることを伝え、くり返し尋ねると、ようやく兄が説明してくれました。

ひと月ほど前、ここから浅草の観音様の境内を覗いていた時、人ごみのなかで、ちらりと美しい娘を見たのだそうです。

たった一度きりで、二度とは見つかりませんでした。

兄は恋煩いし、毎日ここへやってきては、あの娘はいないか、と遠眼鏡で探していたのです。

説明を終えた兄は、また遠眼鏡を覗きこみます。

すると突然、兄が「さあ行こう」と言いました。

あの娘を見つけたようです。

青畳を敷いた広い屋敷に座っていたそうです。

見当をつけた場所を探しているうちに、男は兄とはぐれてしまいました。

再び見つけた兄は、覗きからくり屋の、覗き眼鏡を覗いていました。

夢でも見ているような遠い目つきで兄が言います。

探していた娘は、このなかにいる、と。

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【結】押絵と旅する男 のあらすじ④

押絵と旅する

兄に言われて、男は料金を払い、からくりのなかを覗きました。

八百屋お七の覗きからくりでした。

吉祥寺の書院で、お七が吉三にしなだれかかっている絵が見えます。

お七は押絵で作られており、生きているように見えます。

兄は、探していた娘が作り物の押絵だとわかっても、なおあきらめきれない様子です。

一度でもいいから、あの吉三のような男になって、お七と話がしたい、と言います。

一時間ほど悩み、立ち尽くしていた兄は、突然ひらめきました。

男に遠眼鏡を押しつけ、逆さにして自分を見てくれ、と言います。

男は、このてのものは薄気味悪くて好きではありませんでしたが、兄のたっての頼みなので、しかたなく言われた通りにしました。

逆さの遠眼鏡で、兄が小さく見えました。

兄はあとじさりしていくのか、ますます小さくなって、一尺くらいの人形のようなかわいらしい姿となって、闇のなかに溶けこんでしまいました。

遠眼鏡を外しても、そこに兄の姿はありません。

あちこち兄を探した男は、覗きからくり屋に戻ってきました。

ふと思いついて、からくりを覗いてみると、吉三の代わりに兄がいて、お七を抱きしめていたのでした。

男は急いで帰宅し、両親に説明しましたが、ぜんぜん信じてもらえません。

それでもとにかく、母親にお金を出してもらい、すぐにあのからくり屋から絵を買い取りました。

男は絵を持って、箱根から鎌倉のほうへ旅をしました。

兄と娘の新婚旅行のつもりです。

汽車の窓に絵を立てかけ、外の景色を見せてあげました。

その後、父が呉服商の店をたたんで、ふるさとの富山に戻ったので、男もいっしょに富山に来ました。

あれから三十余年。

男は、久しぶりに兄に東京を見せてやろうと、絵を持って汽車に乗りました。

ところが、悲しいことに、娘のほうは歳をとりませんが、無理やり縮んだ兄は、すっかり白髪の老人になってしまったのです。

悲し気な顔をした兄を見るにつけ、男は気の毒でしかたがありません。

こうして男は説明を終え、額を風呂敷にしまいます。

その刹那、押絵の娘と白髪の男が、〈私〉にあいさつの微笑を送ったように見えました。

しばらくして、男は山間の駅で降りて、闇のなかに消えていったのでした。

江戸川乱歩「押絵と旅する男」を読んだ読書感想

押絵の娘に恋した男が、自分も押絵になる、という荒唐無稽な話です。

その荒唐無稽な話、言いかえれば嘘八百の話を、ひょっとしたらありうるかも、と読者に思わせる、つまりはリアリティを持たせているのが、作中のいたるところに散りばめられた雰囲気描写です。

たとえば、冒頭で、魚津へ蜃気楼を見に行った帰りみちでのこと、と書いていますが、そのすぐあとで、友人に、いつ魚津へ行ったんだと突っ込まれると、記憶がはっきりしない、と述べています。

こういうところがものすごい。

もうこのあたりから、物語は、くっきりしたシネマではなく、影絵芝居のような幻想性を帯びてくるのです。

そして、この調子が最後まで続いているのですから、人によっては、この作品を乱歩の最高傑作と持ちあげるのも、不思議ではありません。

さて、少し話は変わりますが、乱歩自身、昭和二年に旅行に出て、魚津に立ち寄っているそうです。

そのときの体験が、この小説のベースにあるらしい。

ということは、作中の〈私〉が、奇妙な男と遭遇したのは、昭和二年のことと考えてもよいと思うのです。

一方、男の兄が娘に恋して、押絵になったのが明治二十八年。

このとき兄は二十五歳。

それから三十二年後の昭和二年であれば、押絵になった兄はまだ五十七歳。

この当時は数えの年齢でしょうから、いまの満年齢では五十六歳か、五十五歳です。

現代では、まだまだ働き盛りの壮年ですが、当時は充分に老人の範疇だったのでしょう。

そんなことを考えながら読むと、また興味深いかもしれません。

-江戸川乱歩

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