著者:江戸川乱歩 1925年7月に博文館(青空文庫)から出版
D坂の殺人事件の主要登場人物
「私」(わたし)
この作品の語り部。探偵小説好きな書生。
明智小五郎(あけちこごろう)
私の友人。変わり者で私と同じく探偵小説好き。
古本屋の妻(ふるほんやのつま)
私と明智小五郎の下宿先の近所の古本屋の妻。明智小五郎の幼馴染
古本屋の店主(ふるほんやのてんしゅ)
私と明智小五郎の下宿先の近所の古本屋の店主
蕎麦屋の主人(そばやのしゅじん)
古本屋の一軒空けて隣の蕎麦屋の主人
1分でわかる「D坂の殺人事件」のあらすじ
九月初旬のある蒸し暑い晩、私と明智小五郎は馴染みのカフェ、白梅軒で雑談をしていたところ、向かいの古本屋の障子が閉まっていることに気づきます。
二人はいつもなら見張りのため少しでも障子は開けてあるのにおかしいと思い、古本屋に行ってみると奥の部屋で古本屋の妻が死んでいました。
古本屋の妻は首を絞められたようで、警察も周囲の聞き込みや捜索を進めますが、手掛かりが見つかりません。
十日後、私は明智小五郎の下宿先を訪れ、自らの推理を披露して明智が犯人ではないかと問い詰めますが、明智はそれを聞いて笑いだします。
明智は自らの推理を披露し、極度のマゾヒストだった古本屋の妻が、ひどいサディストである蕎麦屋の主人とが出会い、行き過ぎた行為の末の死だったと結論付けます。
そして、その時に届けられた夕刊では、蕎麦屋の主人が警察へ自首したことが報じられていました。
江戸川乱歩「D坂の殺人事件」の起承転結
【起】D坂の殺人事件 のあらすじ①
九月初旬のある晩、「私」はD坂の白梅軒という行きつけのカフェでコーヒーを飲みながらぼんやりしていたところ、向かいの古本屋でいつも夜に店番をしている店主の妻がいないことに気づきます。
店主の妻はいつまで待っても出てこず、私は彼女が出てくるのを待つのが面倒くさくなっていましたが、今度は店と奥の間の境目にある障子の格子戸が閉まっているのが目につきました。
この格子戸は防犯のため少しでも開けておくのが常なのですが、今日は冬の寒い日でもないのに閉め切ってあります。
私は古本屋の様子を見ながら、夫婦仲も悪くないのに店主の妻の身体中に傷があり、同じ並びにある蕎麦屋の主人の妻にも同様によく傷があるという噂をふと思い出します。
すると、知り合いの明智小五郎が窓の外を通りかかり、私に気づいた明智は店の中に入り私の隣の席に座ります。
明智小五郎は私が最近知り合いになった人物で、ちょっと変わった男ではありますが、頭が良さそうで探偵小説好きでもあるため私は気に入っていました。
私と明智は犯罪や探偵に関することで雑談をしていましたが、お互いに古本屋の様子がおかしいことを話し、一時間ほど前に障子の格子戸が閉まってから誰も出てこず、明らかに誰もいないことから古本屋に行ってみることにします。
私と明智は古本屋の奥の間の近くまで行って大声で人を呼んでみますが、返事はありません。
私は障子を少し開けて奥の間を覗いてみると、中は真っ暗でしたが部屋の隅で誰かが倒れていることに気が付き、再び声をかけてもやはり返事をしません。
いよいよ二人は奥の間へ上がり込み、明智が電燈のスイッチを入れてみると、部屋の片隅には女の死体が転がっており、二人はアッと声を上げて驚きます。
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【承】D坂の殺人事件 のあらすじ②
女の死体を前に、私は死体がこの古本屋の店主の妻であると言い、首を絞められているようだと推測します。
明智も死体を調べた後、警察を呼ぶため外に出ます。
死体の着物は膝の上の方までまくれて腿がむき出しになっていますが、大して抵抗した様子はありません。
間もなく明智が戻り、次いで制服の警官と警察医、司法主任がやってきます。
私と明智は司法主任にこれまでの目撃情報を伝え、八時頃には障子の格子が閉まり、その時は中の電燈がついていたとも付け加えます。
警察医はその間に検死を済ませ、死後一時間以上は経っていないと推測し、司法主任も大した抵抗の様子がないことから非常に急激に首を絞められたものと考えます。
続いて、隣家の時計屋の主人の話では、一時間前には物音は何も聞かなかったと証言します。
やがて、裁判所の職員と警察署長、当時の警察で名の知れた小林刑事たちが到着します。
私と明智は彼らにも同様の証言をし、小林刑事は野次馬を撃退した後、死体を改めて調べますが、特別重要なものは見つかりません。
その内、私と明智は警察に奥の間を追い出されてしまいます。
警察のやり取りに聞き耳を立てると、遺留品も足跡もなく、電燈のスイッチに指紋が付いているのだけが見つかったとのことです。
続いて刑事は二階や路地を調べますが、路地はぬかるんでおり他の足跡も多すぎるため手がかりにはなりません。
裏路地の角に店を出していたアイスクリーム屋も、日が暮れてからは誰も路地を通っていないと言います。
二階の窓から誰かが出た痕跡もなく、他の家の窓は開けっぱなしで物干しで涼んでいる人もいるため、二階からの逃走は難しいと考えます。
そんな中、古本屋の裏側の長屋に間借りしている工業学校の生徒たちは、八時頃に古本屋の前で雑誌を見ていたところ奥で物音がし、障子の隙間から男が立っているのが見えたと証言します。
しかし、学生の内の片方は着物の色が黒だったと言いますが、もう片方は真っ白な着物だったと言います。
やがて、古本屋の主人が戻りますが、犯人の心当たりはないと言います。
主人の調べたところ、物盗りの犯行でもないようです。
最後に刑事は主人に妻の身体についていた生傷について尋ねますが、主人はあいまいにしか答えません。
結局、その夜の取り調べは終わりましたが、その後の警察の捜索でも新しい手掛かりは何も見つからず、電燈のスイッチにも明智以外の指紋は残されていませんでした。
【転】D坂の殺人事件 のあらすじ③
十日後、私は明智の下宿先を訪ねます。
明智は煙草屋の二階に間借りしており、部屋の中は天井近くまで書物で溢れています。
私は事件後も独自に取り調べを行い、一つの結論に達したと明智に言います。
まず、私は知り合いの新聞記者から警察の捜査方針が立たないこと、電燈のスイッチには明智の指紋しか残されていなかったことを伝えます。
そして、私は二人の学生が証言した着物の色の違いに着目し、実は着物は黒と白の棒縞の着物で二人がそれぞれ障子の格子の隙間から着物を見た際に、一人が見た瞬間には黒の面が、もう一人が見た瞬間には白の面が見える位置にあったのではないかという仮説を立てます。
次に、私は電燈のスイッチの指紋に着目します。
私は実験をして半紙の上に二方向から指紋を残しても片方の指紋は消えないと証明し、警察の「犯人の指紋が明智の指紋で消された」という仮説を否定します。
実際に私は電燈のスイッチを調べましたが、やはり明智の指紋だけで他の指紋は残されていませんでした。
更に、私は棒縞の着物を着た男は、古本屋の主人が夜店で留守の間に妻を襲い、妻は声を上げたり抵抗したりした形跡もないので犯人と妻は知り合いだったのではないかと推測します。
しかし、犯行後に犯人は障子の格子を閉めた際に二人の学生に姿を見られ、急いで外へ出たため部屋の電燈を消した際にスイッチに指紋が残っていることに気が付きますが、自分が殺人事件の発見者になることでもう一度古本屋の奥の間に入りスイッチを付け、警察のやり方を観察するだけでなく証言さえしてみせた、と指摘します。
私はこの話を明智はどこかで変わった表情をするか、言葉を挟むだろうと予想していましたが、当の明智は髪の毛をもじゃもじゃしながら黙り込んでいます。
黙る明智に対し、私は更に犯人の逃走経路に関して、犯人はまず同じ通りの蕎麦屋で便所を借りるように見せかけて裏木戸から古本屋へ行き、また戻ってきたと説明します。
明智は依然として黙っていましたが、私は黒と白の棒縞の着物を持っているのは長屋の中で明智だけであることや、各種のトリックは犯罪の知識がない素人にはまねできないこと、当日も私に会うまでの明智のアリバイはないこと等から明智を追い詰めようとします。
しかし、明智は突如ゲラゲラと笑い出します。
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【結】D坂の殺人事件 のあらすじ④
突然ゲラゲラ笑い出した明智に私は驚きますが、明智は私の推理が外面的で物質的過ぎると指摘します。
明智は、古本屋の妻とは幼馴染ではあるけど、小学校入学前に分かれたきりでそれ以降は何度か話しただけだと言います。
私は指紋について説明を求めますが、明智の調査の結果、電燈は最初から断線してついておらず、明智がスイッチを入れた際に線が偶然つながり、その後私が見た後に再び切れてしまったと説明します。
犯人の着物の色に関しては、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本の記述を引き合いに出し、人間の観察や記憶は頼りないもので、二人の学生が見間違えたのは無理もないことであり、実際は棒縞の着物は着ていなかったはずだと分析します。
蕎麦屋からの侵入・逃走ルートに関しても、実際には便所を借りた男はいなかったと伝えます。
私はここで明智が今回の犯罪そのものを否定するように思え、何を考えているのか少しも分かりませんでしたが、犯人の目星がついているのかと質問します。
明智は「ついてますよ」とあっさり答えます。
明智は古本屋の妻の身体中につけられた生傷と、蕎麦屋の妻の身体にも同じような生傷があるという噂に着目しますが、蕎麦屋の主人も古本屋の主人も乱暴者ではなさそうです。
そこに秘密があるとにらんだ明智は両者に聞き込みをし、犯人を特定しましたが、物的証拠もないことと、悪意の上での犯罪ではないことから警察に告発できません。
犯人は蕎麦屋の主人ですが、実は蕎麦屋の主人はひどいサディストで、対して古本屋の妻は負けず劣らずのマゾヒストだったのです。
最近までは両者ともお互いの配偶者によってその欲望を満たしていましたが、やがて満足できなくなりました。
そして、蕎麦屋の主人と古本屋の妻がお互いに探し求めていた人間であると分かり、すぐに両者の間に合意がなされましたが、行き過ぎた行為により古本屋の妻は亡くなってしまったのです。
この結論に私は身震いをしますが、そこに階下から届けられた夕刊の社会面を明智が見てみると、蕎麦屋の主人が自首したという小さな記事が掲載されています。
江戸川乱歩「D坂の殺人事件」を読んだ読書感想
明智小五郎の記念すべき初登場作品ですが、この頃から書生でありながら優れた観察力、推理力を持っているのが分かります。
特に、既に物的証拠や状況証拠ではなく心理面を中心に推理を展開しているのは驚かされます。
「物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうでもなるものですよ。
一番いい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜くことです」という言葉が、今作での明智の推理や捜査への姿勢を物語っています。
もっとも、これらの姿勢や言葉は、発表当時はまだ科学捜査等も発達していなかったことや、いわゆる「〇〇のカン」が今より信じられていたという時代背景もあるのかもしれません。
また、地の分でエドガー・アラン・ポーやコナン・ドイル、谷崎潤一郎の作品に触れてるのも江戸川乱歩作品らしく、同時に明智の博識さが垣間見えて面白いところです。
事件の結末は少しひっかけのある意外なものですが、江戸川乱歩の作品にはこうした「エログロナンセンス」な要素も少なからずあり、後の少年探偵団シリーズ等とは違う印象を受けます。