白痴 坂口安吾

坂口安吾

坂口安吾「白痴」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

著者:坂口安吾 1947年5月に中央公論社から出版

白痴の主要登場人物

伊沢(いざわ)
主人公。表現の自由をモットーとする演出家。オリジナルの脚本を上演するのが夢。記者として人生の裏側を深く見てきた。

オサヨ(おさよ)
伊沢の隣人。本名は不詳。夫と義母の3人暮らし。人目をひくほどの容姿。知的ハンディキャップがあり生活力はない。

1分でわかる「白痴」のあらすじ

大学を出てから新聞記者・演出家と職を転々してきた伊沢は、戦争の影響で風紀の乱れ切った場末の町に住んでいます。

勤め先でも軍国主義が色濃くなってきたために、仕事に対するやりがいも将来の目標も見失っていく一方です。

ある日の晩に隣家の風変わりな人妻が部屋の中に勝手に上がり込んできて、翌朝になっても出て行こうとしません。

しばらくのあいだ女をかくまっていた伊沢でしたが、空襲で焼け出されたために彼女を連れて避難するのでした。

坂口安吾「白痴」の起承転結

【起】白痴 のあらすじ①

戦時下の荒れていく心と型破りな夫婦

大学を卒業後に新聞社に就職した伊沢は文化映画の演出家に転身しましたが、まだまだ見習いで単独での興行をこなしたことはありません。

伊沢が住んでいる地域には家賃が格安のアパートが乱立していて、その半数は軍需工場に勤める人たちの寮になっていました。

妻を疎開させている重役や課長クラスの従業員たちは、「戦時夫人」という名目で堂々と愛人を囲っています。

他に行く当てもなく天井裏に間借りしている母と娘、不特定多数と関係を持ってそのうちの誰かの種を宿した若い女性、7〜8人の情夫を追い出した高齢女性。

職業柄か実業家や芸能人と付き合うことがあり27歳にしては世間ずれしている伊沢でしたが、戦争で人の心がここまで荒んでいることに驚きます。

中でも特に変わり者なのが細く入り組んだ道の行き止まりの先に家を建てて住んでいる3人組で、伊沢が借りている部屋のすぐ隣です。

夫は年齢30歳前後で見た目はなかなかの好男子、妻の方もいかにも家柄の良さそうで人形のような美しい顔立ち。

誰が見ても教養があって上品な美男美女のカップルに思えますが、ふたりとも近所で評判になるほど奇行が目立ち精神的にも安定しません。

ある時に防空演習があって近所の女性たちが一丸となってバケツリレーに活躍していると、着流し姿で現れた夫が辺り一面に水をぶちまけて演説を始めてしまいました。

妻の方は比較的におとなしいですが言語が不明瞭で聞き取れず、配給物を取りに行くこともできずに米を炊くこともできません。

ただひとり意思の疎通ができるのが夫の母親で、彼女からは「オサヨ」と呼びかけられています。

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【承】白痴 のあらすじ②

色あせていくフィルムと消えた万年床

軍部の検閲が日増しに厳しくなっているために、報道関係者であれ文筆業であれ思うような表現ができません。

パプアニューギニアの激戦を描く「飛行機をラバウルへ!」や、学徒出陣へ駆り出される若者たちをたたえる「ああ桜は散りぬ」など。

伊沢が勤めている制作会社は日和見主義なために、国民の戦意高揚をうながすプロパガンダ用の映画の企画がほとんどでした。

個人の思想・信条の自由を大切にしつつ、芸術の独創性を信じて仕事をしてきた伊沢としては心苦しいところです。

思いきって社長室まで乗り込んで直談判をしてみましたが、無駄なことを考えるなと追い返されてしまいます。

このご時世に毎月それなりの給料がもらえる勤め先は他になく、ここを辞めて無職になれば兵隊として徴用されて戦地へ送られることになるでしょう。

社長とのもめ事があってから同僚たちからも無視されたり疎まれるようになり、伊沢はすっかり情熱を失ってしまいました。

毎朝のように警戒警報で起こされる伊沢はタバコに1本火をつけてから出社し、機械的に業務をこなして終電間際に帰ってきます。

いつものように私鉄を降りて夜道を歩いてわが家へとたどり着きましたが、敷きっぱなしにしている布団が見当たりません。

伊沢が借りているのは母屋から分離した家畜小屋のようなところで、押し入れと戸棚が備え付けられているだけの簡素な造りです。

おそるおそる押し入れを開けて中をのぞき込んでみると、ていねいに畳まれた布団の側にオサヨが座り込んでいました。

【転】白痴 のあらすじ③

奇妙な共同生活で非常時を乗り切る

深夜に隣人をたたき起こしておびえた様子の女を突き返すのか、夜が明けてから返しに行って余計な誤解を招くのか。

予想外の出来事と突如として目の前に現れた二者択一に対して、伊沢の心には不思議な勇気が満ちあふれてきました。

この現実を何者が自分に与えた試練だと判断した伊沢は、口の中でブツブツと意味のないことをつぶやいているオサヨを寝床に寝かせます。

辺りが明るくなるまで額や髪の毛をなでてあげましたが、その純真な寝顔は3〜4歳くらいの幼い子どもと変わらないために欲望は湧いてきません。

朝になると伊沢は今まで通りに会社へ向かいますが、オサヨは押し入れの中でひたすら彼の帰宅を待っているだけです。

ひとたび外に出ると伊沢はオサヨのことを忘れてしまい、ひとつ屋根の下に見知らぬ他人がいることが10年も20年も前から続いているかのような気がしました。

毎朝の警戒警報は空襲警報へ、町内会の防空演習では焼い弾の消し方を、映画のタイトルは「本土決戦」や「神風特攻隊」など今まで以上に愛国的に。

敵機はとっくにラバウルを陥落させてサイパン島に上陸していましたが、日本軍は連戦連勝と報道されています。

伊沢のところからもそれほど遠くない地区で2時間近くの爆撃がありましたが、防空ごうを持っていないためにオサヨと一緒に布団を盾にして息をひそめるしかありません。

普通の人間であれば恐怖と苦しみでゆがんでいるはずの顔も、彼女の場合にはただ目だけが光って虚空をつかむような表情です。

伊沢が3月10日の東京大空襲を冷静に乗りこえられたのも、すべてはオサヨの本質的な無心さのおかげでした。

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【結】白痴 のあらすじ④

地獄か天国かに続く道をゆく

学生時代から付き合いのある埼玉県の農家まで買い出しに行くために、4月の半ばに伊沢は被災証明を申請しました。

いくらかの米と生活必需品をリュックサックに詰め込んで帰ってくると、ラジオでは敵国の編成部隊が伊豆の南端を通過したと報じています。

夜間飛行中の敵の飛行機を照らすためのサーチライトで頭上はまぶしいほど輝いていて、駅前の方角も一面が火の海でいよいよこの町も最後の日です。

リヤカーに家財道具の一式を積みこんだ近隣住人は先を争って避難しますが、オサヨと一緒にいるところを目撃される訳にはいきません。

両隣の家や真向かいのアパートにまで炎が燃え移ってきた頃、ようやく伊沢の借りている部屋の大家が立ち去りました。

初めて出会った時とまったく同じように押し入れの奥でぼんやりとしているオサヨを、防災頭巾と布団で顔を見えないようにして外に連れ出します。

なぎ倒された民家、吹き飛ばされた女性の足、ねじ切れた男性の首、焼き鳥のように盛られて並べられた子どもの遺体。

フラフラとよろめいたり人の流れのど真ん中で立ち止まったりを繰り返すオサヨを、伊沢はしっかりと抱きしめると伊沢はそっと耳元でささやきます。

火も爆弾も忘れてふたりっきりの道を歩くだけ、死ぬ時はふたりで一緒、土から作られた人間が土に還るだけ。

コクンとだけ首を動かしたオサヨの手を力いっぱいに引っ張った伊沢は、空が晴れて太陽の光が射し込むことを信じて遠い停車場へ向かって歩き出すのでした。

坂口安吾「白痴」を読んだ読書感想

ストーリーの舞台となるのは環境も男女の関係性も乱れ切った街角で、現代のコンプライアンスから理解することは難しいでしょう。

戦争という非日常のムードが色濃く影を落としつつ、主人公・伊沢の諦めにも似た気持ちも入り交じっていました。

逆風の中で映画を武器に自由な創作活動を訴えながらも、あっさりとつま弾きにされてしまうのがほろ苦いです。

社内の片隅でくすぶっているよりかは会社を飛び出してフリーランスにでもなれば…、などといった発想も行動力もないようですね。

お金がなくなるとタバコが吸えなくなるなどといった理由から、嫌々ながらも定時きっちりに出勤してルーチンワークをこなす律義さには笑わされます。

転がり込んできたやっかい者のオサヨを拒絶することもなく、すんなりと受け入れてしまうのは懐が深いからなのかもしれません。

生への執着からも解放されたかのようなふたりが、壊滅的な被害を受けた東京をさ迷い歩くクライマックスが圧巻でした。

-坂口安吾

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