著者:泉鏡花 1971年4月に角川書店から出版
外科室の主要登場人物
私(わたし)
本作の主人公。画家。親友高峰医師の手術を見学する。
高峰医師(たかみねいし)
東京にある病院の外科医。
貴船伯爵夫人(きふねはくしゃくふじん)
高峰医師が執刀する手術の患者。
1分でわかる「外科室」のあらすじ
友人高峰医師の手術を見学する私。
患者の貴船伯爵夫人は麻酔剤を拒否しています。
周りの説得にも応じず、ついに麻酔をせず手術を受ける夫人。
「あなたは、私を知りますまい」と医師に告げ、メスで自分の胸をつき絶命してしまいます。
同日、医師も後を追うように亡くなりました。
9年前に一度だけすれ違ったことがある医師と夫人はその時からお互い惹かれあっていたのです。
密かな思いを告げることなく、二人は命を絶ったのでした。
泉鏡花「外科室」の起承転結
【起】外科室 のあらすじ①
主人公の「私」はある日、画家であるということを口実にして、友人の医師の手術を見学します。
友人である高峰医師とは兄弟以上ともいえる親しい間柄で、私は強い希望で彼の手術に立ち会いました。
手術は高峰医師の務める東京府下のある病院の外科で行われました。
外科手術の患者は貴族の貴船伯爵夫人です。
手術当日に私が外科室に向かうと、3人の腰元の女性とすれ違いました。
女性たちの間には7,8才くらいの伯爵夫人の娘が見えます。
それだけではなく、廊下では紳士、武官、貴婦人令嬢などきわめて高貴な人々が大勢おり、忙しなく行き交いしています。
みな沈痛な面持ちで、いずれも穏やかな顔色ではありません。
私が外科室に入ると高峰医師が椅子にもたれ座っています。
私は彼の、大いなる責任を担っているにも関わらず平然とした態度に驚きます。
立ち会いの親族が大勢いる中で、一際憂いに沈んでいる男は患者の夫の貴船伯爵でした。
その中で、手術台の伯爵夫人はまるで死骸のように真っ白な姿で横たわっています。
かよわげでいて、かつ気高く、尊く美しくも見えるその姿に私はぞっとして寒さを感じます。
高峰医師の様子を再び伺うと、彼は少しの感情も動いていないような様子で、室内でただ一人椅子に座っています。
その落ち着いたふるまいは医師としては頼もしいけれども、伯爵夫人の容体を見た私にとってはむしろ心憎く感じるのです。
そこへ先ほど廊下ですれ違った3人の腰元のうちの、一際目立った女性が入ってきました。
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【承】外科室 のあらすじ②
腰元の女性は看護師に促され手術台へ近づきます。
貴船伯爵夫人に対して、麻酔剤(ねむりぐすり)を打つことを告げます。
ところが夫人は、麻酔剤を打つのはよそうと言い、一同を驚かせます。
腰元と夫の貴船伯爵は、それでは治療ができない、我儘を言うなと諭します。
ですが夫人は、治療が出来なくてもよいとつれない様子です。
見かねた看護師がどうしてそんなに麻酔剤を嫌がるのか聞くと、夫人は心に一つ秘密があるからだと言います。
麻酔剤を打ってうわごとを言い、夢うつつの間にその秘密を話してしまうのが恐いのです。
死ぬかもしれない病気であるのに、それでも守りたい秘密とは一体何なのでしょうか。
伯爵は顔色を変えます。
伯爵は、娘を外科室に連れてこれば、その可愛さに正気に戻るだろうと言います。
しかし夫人は連れてこなくてもよいと言います。
看護師は、胸を切るのだから麻酔無しでは痛くて耐えられないと説得します。
夫人は痛くても大丈夫、私は動かないから麻酔をせずに切ってくれと言い張ります。
そのあまりの無邪気さに、私は無意識のうちに震撼していました。
そばにいた立ち会いの医学博士も、この事態に初めて声をあげました。
あなたの病気は麻酔剤無しでは治療できないと言います。
肉を殺ぎ、骨を削るのだから、とても耐えられるものではないと伝えますが、夫人は平気な様子です。
何を言っても麻酔剤を打たないと言い張る夫人に、一同は困り果ててしまいます。
見かねた伯爵は、日を改めて別の日に手術を行おうと提案します。
皆がそれに同意する中、医学博士は反対します。
この病気は一刻を争うため、手術を延期することは出来ないと言います。
【転】外科室 のあらすじ③
そんな中、先ほどから少しの身動きさえせずにいた高峰医師が椅子から立ち上がります。
そして看護婦にメスを渡すよう伝えます。
一同は愕然としながら見守ります。
高峰医師は深く厳粛な声色で、責任を負って手術すると告げます。
貴船伯爵夫人は一瞬頬を紅潮させ、どうぞと一言答えます。
メスが胸に入り、夫人の顔は元のように蒼白くなります。
しかし夫人は、先ほど自分で言った通りに落ち着いた様子でいます。
かなりの痛みがあるはずなのに足の指も動かしません。
外科室で見守る一同は、わななく者、顔を覆う者、背を向ける者と様々です。
私は我を忘れて、心臓まで寒くなったようでした。
医師の手術が佳境に進み、メスが骨に到達するころ、夫人は突然上半身を跳ね起こします。
そして医師の腕に取りすがります。
痛むかと問う医師に、夫人は「あなただから、あなただから」と何かを言いかけます。
それから、凄まじい様子で医師を見つめ「でも、あなたは、あなたは私を知りますまい!」と言います。
言うやいなや、医師のメスに手を添えて自らの胸を深く掻き切ります。
医師は真っ青な顔をしておののきながらも、「忘れません」と返します。
それを聞いた伯爵夫人は嬉しげな顔をして、あどけない微笑みを浮かべました。
そして医師の手から手を離し、ばったりと息絶えたのです。
その時の二人の様子は、まるで身辺にまったく誰もいないように見えました。
天と地もなく、社会もなく、二人きりのようでした。
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【結】外科室 のあらすじ④
高峰医師と貴船伯爵夫人の様子を見ていた私は、9年前のある出来事を思い出します。
医師がまだ医科大学の学生だった頃、私は彼と一緒に小石川にある植物園を散策していました。
園内にある池に沿いながら歩いている時、見物客の一行と会います。
深く日傘を差し、洋装をした3人の貴族の女性でした。
するすると裾を捌いて華麗に歩いている様子に、私は思わず「見たか」と高峰医師に聞きます。
医師は頷きました。
近くのベンチには、商人風の若者たちが座っています。
若者たちは、貴族の女性たちの髪型や洋服の見事さに驚いています。
歩き方はまるで天上人のようで、そこらを歩く女とは比べものにならないと言い合っています。
私は高峰医師とともにその若者たちから離れます。
医師は感動した表情で、真の美が人を動かすとはこういう事だと言います。
そして画家である私に、君も勉強したまえと言ったのです。
その後、9年が経ちましたが、高峰医師は植物園ですれ違った女性について私には一言も語りませんでした。
学生時代から品行方正であった医師。
年齢も地位も、妻があって当然の身にも関わらず独身だったのです。
私は彼の秘めたる思いに気が付きます。
高峰医師は伯爵夫人の手術を終えた同日、ほどなくして亡くなりました。
青山の墓地と屋中の墓地、場所は違っても彼らは同じ日に前後してあの世へいったのです。
私は彼らに思いを馳せます。
そして天下の宗教家に、亡くなった彼らは罪悪があって、天国にいくことはできないのだろうかと心の中で問いました。
泉鏡花「外科室」を読んだ読書感想
泉鏡花の代表作である外科室です。
映画やコミック化もしているので、知っている人も多いのではないでしょうか。
古文調で難しい印象を受けるかもしれませんが、短編小説なので読みやすいと思います。
ただ一度だけすれ違った相手を9年間も思い続けていた二人の、静かで激しい恋愛が描かれています。
貴船伯爵夫人が、自分の恋心を絶対に漏らさないように、麻酔剤無しで手術を受ける様子は壮絶です。
またそれに応えて、夫人の死後に自分も死を選ぶ高峰医師の思いも切ないです。
作者の泉鏡花は、婚姻制度に疑問を持ち、恋愛と結婚は矛盾するという思想があったと考えられています。
医師と貴族という身分違いの恋が成就しなかったのも、明治期の社会背景が関係しているのかと感じます。
物語は、二人とも亡くなってしまうという一見すると悲しい結末です。
しかし最後の瞬間に思いが通じたようにも読み取れる、ロマンティックな物語だと思います。