猫町

萩原朔太郎

萩原朔太郎「猫町」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

著者:萩原朔太郎 1935年8月号(雑誌掲載)に第一書房「セルパン」(雑誌掲載)から出版

猫町の主要登場人物

私(わたし)
作中の語り手。詩人。作品中に個人名は出てこないが、内容的に、萩原朔太郎自身を指しているものと思われる。

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1分でわかる「猫町」のあらすじ

〈私〉が北越地方のKという温泉に滞在していたときのこと。

ある日〈私〉はU町をめざして山の中を歩いているうちに、道に迷ってしまいました。

不安にかられ、焦燥しながら歩き続けるうちに、ようやくふもとについたと思ったら、そこは見知らぬ美しい町でありました。

町に魅了され、うっとりとしているうちに、町は調和をとるために、きわめて緊張を強いられているのだと悟ります。

とたんに、美しかった町が、気味悪くなりました。

そのとき、通りのまん中を走るネズミの姿が、全体の調和を崩した……と思った瞬間、あたりには猫の大集団がうようよと歩いていたのです……。

萩原朔太郎「猫町」の起承転結

【起】猫町 のあらすじ①

逆空間に実在する不思議の町

〈私〉は、以前は旅をしたものですが、どこへ行っても同じような人間の同じような生活があるばかり、ということに気がついてからは、しだいにときめかなくなりました。

そういう実在する世界の旅行に代わって〈私〉がハマったのは、モルヒネやコカインなどの麻薬を使って、エクスタシーの夢のなかで旅行するというものです。

ただし、薬によるこの旅行は、〈私〉の健康をひどく害しました。

〈私〉は健康のために、三十分から一時間ほど、散歩をするようにしました。

そうしたある日、いつもの散歩コースを歩いていた〈私〉は、道を間違え、迷子になり、わけもわからず、ぐるぐると歩いているうちに、にぎやかな通りに出ました。

しっとりと濡れた鋪石、小ぎれいな商店、珈琲店の軒先をかざる花樹、赤いポスト、可憐な煙草屋の娘。

なんとおもむきのある町でしょう。

〈私〉は夢を見ているような気がしました。

まるで幻燈の幕に映った影絵の町のようでした。

ところが、〈私〉の記憶が回復してみると、そこは〈私〉のよく知っている近所のたいくつな町なのでした。

なぜそんな印象を持ったのかというと、〈私〉が道に迷って、方位を逆のほうに錯覚したからです。

つまり、あの不思議の町は、方角を反対に裏返した、宇宙の逆空間に存在したのでした。

こういう不思議な体験をした〈私〉は、それから、わざと方位を錯覚させて、不思議の空間を旅行するようになったのです。

さて、これから語ろうとする〈私〉の体験談も、方位の反転により経験した不思議と言えるのかもしれません。

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【承】猫町 のあらすじ②

道に迷う

あるとき〈私〉は、北越地方のKという山の中の温泉に滞留していました。

九月の末のことで、都会から来ていた人々は帰ってしまい、わずかな湯治客がいるばかりでした。

温泉地から少し離れた場所には、三つの小さな町があり、交通の便もありました。

三つの町のうちの一番にぎやかなU町へは、小さな軽便鉄道が通っていました。

〈私〉はときおり軽便鉄道に乗ってU町へ行き、買い物をしたり、女のいる店で酒を呑んだりしたものです。

ある日のこと、〈私〉はいつものように軽便鉄道に乗りましたが、途中の駅で下車して、山の中を徒歩でU町へ向かうことにしました。

見晴らしのよい峠の山道を、のんびりと歩いてみたかったのです。

〈私〉は林の中を歩きながら、地元の人々に聞いた話を思い出していました。

ある部落の住民は犬神に憑かれており、またある部落の住民は猫神に憑かれている、という話です。

犬神に憑かれたものは肉ばかり食べ、猫神に憑かれたものは魚ばかりを食べるそうです。

そういう「憑き村」の話は、たぶん、文化の違う外国からの移住民の子孫とか、隠れキリシタンの部落のことではあるまいか、と〈私〉は想像するのです。

そんなことを考えながら歩いているうちに、気がつくと、〈私〉は道に迷っていたのです。

後戻りしたら、ますます地理がわからなくなりました。

〈私〉はしだいに不安になり、あせり、歩きまわりました。

すると、ようやく人馬の足跡のついた山道を見つけたのです。

〈私〉はその道をおりていき、ふもとの町にたどり着いたのでした。

【転】猫町 のあらすじ③

美しい町にひそむもの

そこには繁華な美しい町がありました。

ふもとの低い平地にかけて、たくさんの家屋が並び、塔や高楼が日に輝いています。

辺ぴな山奥に、こんな立派な都会があるとは、どうしたことでしょう。

〈私〉は、幻燈を見るような思いで町へ近づき、さらには幻燈の中へ入っていきました。

大通りの中央へ出ると、商店や民家の意匠が全体として集合美を形作り、みやびで奥ゆかしく、歴史を感じさせるのでした。

大通りは二、三間の幅しかなく、ましてそのほかの小路は建物と建物にはさまれて狭く、迷路のように曲がりくねっています。

あちこちに南国の町のように花樹が植えられ、そのそばには井戸がありました。

大通りの街路のほうには、洋風の家が建ち並んでいます。

理髪店、洗濯屋、写真屋、時計屋などがあります。

通りには人が大勢出ています。

それなのに、不思議なことにひっそりと静まり返っているのです。

人が歩いているばかりで、うるさい音をたてる車馬がまったく通らないせいかもしれません。

群衆は上品で慎み深く、物静かです。

人々は影のように通りを歩いていきます。

しかし、やがて〈私〉は気がついたのでした。

町全体のこういうみやびな雰囲気が、実は繊細な神経によって、努力して保たれている、ということを。

その、「保つ」ということのために、町の神経は異常に緊張し、おののいているのです。

すべての行動は、町の調和を保つために、細心の注意を払われなければなりません。

もし、不注意なことをしでかすと、調和はくずれ、大変なことになってしまうのです。

そのことに気づいた〈私〉は、にわかに不安になりました。

先ほどまでは美しいと感じていた町が、急に気味が悪く思えてきます。

そして、いまに何かが起きるに違いない、と確信するのでした。

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【結】猫町 のあらすじ④

猫、猫、猫、猫……

そうして緊張感がしだいに高まっていき、〈私〉が、「今だ!」と思わず叫んだときでした。

通りのまん中を、小さな黒いネズミのような動物が駆けぬけていったのです。

それは、町全体の調和を破るような行動でした。

すると、そのとたん、すべてが静止し、沈黙がおりてきました。

と思うと、次の瞬間に、町の通りを歩くのは、猫の大集団に変わっていたのです。

猫、猫、猫、猫……。

どこを見ても、猫ばかりです。

〈私〉は戦慄し、倒れそうになりました。

ここは人の住む町ではなく、猫の住む猫町ではありませんか。

〈私〉は幻を見ているのでしょうか。

それとも、発狂してしまったのでしょうか。

〈私〉は恐れおののきながらも、なんとか自意識を取りもどしました。

すると、先ほどのあの猫の姿は、もうどこにもなくなっていたのです。

そればかりではありません。

初めに感じた、蠱惑的で不思議な町は、どこにもありません。

そこにあるのは、平凡な田舎町にすぎないのでした。

通りをいく人は、どこの田舎にもいるような疲れた人々。

そこは、〈私〉のよく知っているU町なのでした。

〈私〉は理解しました。

これは、例の方位の観念をなくしたことから起きたことでした。

山道をさまよううちに、〈私〉は方位の観念を失い、U町にいつもとは違う方角から入り込んだために、まったく違う印象を持った、ということなのでした。

以上で〈私〉の物語は終わります。

が、例の、荘子による「胡蝶の夢」と同様に、錯覚された風景と、現実に見ている風景の、どちらが本物であるのでしょう。

とにもかくにも、〈私〉はあのときに見た猫町を、いまも鮮やかに思い出すことができるのです。

萩原朔太郎「猫町」を読んだ読書感想

タイトルに付随して、「散文詩風な小説」とうたってあります。

本文を読んでみると確かに、普通のエンタメ小説のように、こうして、こうなって、どんでん返しがあって、ラストでスカッとしたりゾッとしたりして、着地する、という形にはなっていません。

「散文詩風」と言われれば、そのとおりの印象です。

ストーリーをごく短く言うなら「あるとき私は道に迷って町に出た。

そこでぼおっとして猫の幻覚を見た」という、たったそれだけのものです。

木で言うと、高さ一メートルの単純な幹の木です。

しかし、そこにはみっしりと葉っぱが茂っています。

その大量の葉っぱが、全体の幻想をいやがうえにも盛り上げる効果を持っている、そんな造りの小説なのです。

以前、プロ作家の人が、「怪談」をさして、「怪談とはストーリーではない。

語り口なのだ」というようなことを何かに書いておられました。

その言いかたを借りれば、「猫町」はまさしく「語り口による怪談噺」と言えそうです。

主人公が町なかで猫の群れを見るのはほんの一瞬ですが、その怖さといったらありません。

各種のアンソロジーに「猫町」が選ばれているのも納得できます。

-萩原朔太郎

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