著者:夢野久作 1931年(雑誌掲載)に猟奇社「猟奇」(雑誌)から出版
霊感!の主要登場人物
オルデスオル・パーポン(おるですおる・ぱーぽん)
禿げ頭の老医師。外れたあごをはめるのが得意。
アルマ・イグノラン(あるま・いぐのらん)
あごを外した青年。
マチラ・イグノラン(まちら・いぐのらん)
アルマの弟。
レミヤ・ハルスカイン(れみや・はるすかいん)
アルマの従妹。二十歳。大金持ちのひとり娘で美人。
テロル・ウイグ(てろる・ういぐ)
名裁判官と評判の主席判事。
1分でわかる「霊感!」のあらすじ
パーポン医師のもとへ、あごを外した青年が、治療を求めてやってきました。
あごをはめる施術を受けたあと、青年は、なにがあったのかを語ります。
それは、大金持ちで美人の娘レミヤと、彼女の夫の座を争うことになった双子の青年の物語です。
レミヤの両親は、ひとり娘に立派な婿を迎えたいと願いつつ、かなわぬまま亡くなりました。
そのとき婿の候補としてあがっていたのは、レミヤの従妹の、アルマとマチラの双子です。
ふたりは容貌も心もそっくりで、区別がつきません。
レミヤの両親の死後、彼女の家に呼ばれたふたりですが、苦悶し、やがてある解決方法を考えつくのでした。
その方法とは……。
夢野久作「霊感!」の起承転結
【起】霊感! のあらすじ①
禿げ頭の老医師、オルデスオル・パーポンのところへ、急患がやってきました。
仕立て下ろしのフロックに、縞ズボンという礼服姿の男性です。
鼻から下をハンカチで押さえています。
顔色は真っ青で、サタンの死に顔のようなおそろしい形相をしています。
男はハンカチを外しましたが、たちまち激しい吐き気におそわれました。
パーポンはすぐに男があごを外したことに気づきました。
吐き気はあごを外したことからくるものでした。
パーポンはあごをはめる施術が大得意です。
座らせた男のあごを力いっぱいにつかむと、バカヤローだの、マヌケだのと怒鳴りつけます。
男がびっくりして唖然としたタイミングで、医師は力づくであごをはめこんでやりました。
うがいをし、出された紅茶を飲んで、男はようやく落ち着きを取り戻しました。
そうして見ると、彼は二十二、三歳の美青年で、教養のありそうな顔立ちをしています。
パーポンは、一度外れたあごはクセになるので気をつけるように、と注意しました。
それから、あごを外したわけを尋ねます。
彼の経験では、あごを外す原因は、あくび、クサメ、大笑い、喧嘩などです。
しかし、青年の場合は、そのどれにも当てはまらないのでした。
青年は近頃評判の「名無し児裁判」のことを知らないかと訊ねます。
医師は知らないと答えます。
新聞も読まず、往診もしないので、世情にうといのです。
青年は、裁判所であまりにあきれたために、あごが外れたのだと言いました。
医師はなおもくわしく事情を聞こうとします。
青年は、自分の恋人と、自分の家に関わる恥ずかしい秘密のことなので、他言無用にしてほしいと頼みます。
医師が秘密を守ることを約束すると、青年はこんな話を語りはじめたのでした。
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【承】霊感! のあらすじ②
町から十里ばかり山奥に、大金持ちのハルスカイン家があります。
二十年前、この家にレミヤという娘が生まれました。
蝶よ花よと大事に育てられたレミヤは、大変な美人で、性格のよい娘になりました。
老夫婦は娘に婿をとって、財産を譲りたいと思いました。
彼らはその条件として、娘と同等の容姿と心を持った青年であることを要求したのです。
しかし、世のなか、そのような青年は見つからないのでした。
一方、レミヤには従妹がいました。
ハルスカイン家の兄の息子たちです。
それが、私、アルマと、弟のマイラです。
私たちは、幼い頃はハルスカイン家の近くに住んでいて、レミヤとは幼な友だちでした。
しかし、その後、都に出たわが家は、流行り病のために両親が亡くなって、私たちふたりが残されたのでした。
私たちは双子で、容姿も好みもそっくりです。
私たちは、レミヤの婿探しの話は知っていました。
でも、彼女に会えば、きっとふたりとも夢中になってしまい、大変なトラブルを起こすだろうと予想して、あえて彼女の家には近づかないようにしていたのです。
ハルスカイン家では、婿探しがうまくいかない老夫婦が、私たちのことを思いだしていました。
でも、双子であるため、どちらかひとりに絞ることができません。
悩むうちに、二年前、レミヤが十八歳のとき、夫婦は亡くなってしまいました。
夫婦の遺書には、「アルマとマイラのふたりのなかから、レミヤの婿を選んでほしい」と書いてありました。
親類たちは集まって、いろいろに考えました。
結局、私たちふたりを呼んでレミヤに会わせ、当事者三人で決めればよい、という結論に達したのでした。
【転】霊感! のあらすじ③
私たち兄弟は、こうしてハルスカイン家に呼ばれました。
予想通り、私たちはふたりともレミヤに一目ぼれしてしまいました。
それ以後、私たち兄弟とレミヤは、ハルスカイン家の別々の部屋に寝泊まりしながら、悶々とした日々をおくることになったのです。
私たち兄弟は、恋敵である相手を殺したいと思いつつも、それもできず、レミヤを諦めることもできません。
レミヤはレミヤで、そっくりの双子に恋愛感情を持ちながら、ふたりを区別することもできないのです。
やがて彼女は寝込んでしまい、自分の死後は従弟ふたりで財産を分けてほしい、と言いだすしまつです。
私は、これではいけないと思い、ハルスカイン家を出ていこうとしますが、弟も同じことを考えていた、というお笑い草です。
ついに、私たちは解決案を出します。
ふたりがアルマチラというひとりの名前を名のり、一週間交代でレミヤの夫となるのです。
ただし、日曜日は礼拝の日で、レミヤが教会に行くため、私たちは夫を休業します。
そして、やがて子供が生まれたら、そこから二百八十日さかのぼった日に夫役をやっていたほうを真の夫とし、他方は黙って家を出ていく、ということにします。
私たちはこの方法を実行しました。
レミヤは妊娠し、やがてまるまると太った子供を産みました。
ところがどうでしょう。
子供が生まれた日から二百八十日前を計算してみると、日曜日、礼拝の日で、私たちはふたりとも家から出ていたのです。
こうして、どちらも子どもの父親と決められず、子供の名前も付けられません。
思い余ったわたしたちは、裁判所で決着をつけてもらうことにしました。
裁判官は名高い主席判事のテロル・ウイグ氏です。
私と弟は互いに弁護士を立て、争います。
裁判が長引くにつれ、秘密がもれて、新聞が書き立てるようになっていきました。
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【結】霊感! のあらすじ④
名裁判長ウイグ氏は大変に苦心しました。
裁判を開くたびに髪が白くなっていくほどでした。
それでも彼は、自身の名誉にかけ、この裁判にカタをつけるつもりでいました。
彼はあらゆる方面から正しい親子の鑑別法を研究し、ついにひとつの方法に思い至ったのです。
彼は関係者を全員裁判所に招集しました。
レミヤ母子とアルマ、マチラはもちろんのこと、両者の親戚縁者、関係する牧師をはじめ、一流の自然科学者たち十数名も呼んだのでした。
裁判当日である今日、町は見物客で大賑わいでした。
裁判が始まります。
ウイグ裁判長が言います。
「天の配剤による自然の解決方法はふたつしかない。
ひとつは、この裁判を無期延期し、ふたりの父親の一方が亡くなるのを待つ方法。
しかし、そんな方法は許されるものではない。
もうひとつの解決方法は、『霊感』に頼るものである。
植物や下等な動物には、人間の五感を卓越した『霊感』が存在する。
下等な動物ほど、『霊感』が発達していると言ってよい。
赤んぼうもまた、いまの段階では下等な生物といってよいから、『霊感』があるはずだ。
この赤ん坊は、母親以外の者が抱くと、ひどく泣く。
そこで、アルマとマチラのふたりに、順に赤ん坊を抱かせる。
赤んぼうは『霊感』によって本物の父親を悟り、泣きやむはずである」以上がウイグ氏の提案でした。
出席した自然科学者たちも、これに賛同しました。
くじ引きにより、マチラ、アルマの順に赤ん坊を抱きました。
ところが、赤んぼうはどちらの場合もひどく泣くのでした。
それを見て、レミヤが苦悶の表情を浮かべます。
同時に「神さま、お許しを」という声をあげたのは、レミヤが日曜日に礼拝にいく協会の牧師でした。
なんと、赤んぼうの父親は、この牧師だったのです。
夢野久作「霊感!」を読んだ読書感想
これはもう大変なドタバタ喜劇です。
なにがなんでも読者を笑わせてやろう、とばかりに、気合の入った笑い話です。
夢野久作というと、暗黒の物語をつむぐ作家、というイメージを持つ人が多いんじゃないでしょうか。
そのイメージを持った人が本作を読むと、あまりのバカバカしさに吹きだす、ならよいのですが、呆れたり、へたをすると怒り出すんじゃないか、と心配になってしまいます。
これ、作者がよほどそう状態のときに書いたのではないでしょうか。
もちろん、ただバカバカしくて、騒々しいだけの話ではありません。
子供の父親が誰なのか、という謎が提示され、最後に意外な解決が示されます。
そういう意味では、これはミステリ小説でもあるのです。
(実際、発表されたのは「猟奇」というミステリ雑誌でした。
)そして、その解決が、実際にありそうだな、と思わせるところがうまいのです。
また「ありそうだな」と読者が思うからこそ、思わずニヤリと笑ってしまうのです。
夢野久作の異色作ですので、彼のほかの作品をたくさん読んだ人ほど、気分を変えるのに、読んでほしい作品です。