キチガイ地獄の主要登場人物
谷山秀麿(たにやまにでまろ)
炭坑王谷山家の養嗣子。
畑中昌夫(はたなかまさお)
福岡県の造り酒屋の三男。
谷山龍代(たにやまたつよ)
炭坑王谷山家の一粒種。二十三歳。
鞆岐久美子(ともえだくみこ)
東京で畑中昌夫が恋のまねごとをしていた女給。
新聞記者A(しんぶんきしゃえー)
谷山龍代のまわりをうろつくあやしげな記者。作中に名前は出てこない。
1分でわかる「キチガイ地獄」のあらすじ
精神病院に入院している〈私〉は、医者に向かって、自分のこれまでのことを語ります。
大正のある年、〈私〉は石狩川を裸で流されて、炭坑王谷山家の別荘に流れ着きました。
助け出されたときに記憶を失っていた〈私〉は、谷山家のひとり娘、龍代の婿となりました。
その後、〈私〉は、がけっぷちに立たされていた谷山家の経済状態を、急改善させることに成功しました。
〈私〉と龍代との間には、長男、竜太郎が生まれました。
それから一年もしないうちに、龍代は遺伝性の難病のきざしが見えたことを苦にして、自殺してしまいます。
そんな〈私〉ですが、いまになって記憶を取り戻しました。
〈私〉は実は、人を殺して、終身刑となった身なのです……。
夢野久作「キチガイ地獄」の起承転結
【起】キチガイ地獄 のあらすじ①
〈私〉は精神病院に入院中です。
だいぶ調子がよいので、退院させてもらおうと先生にかけあい、自分のことを洗いざらいしゃべります。
実は〈私〉は、殺人を犯し、牢を脱獄し、婦女を誘拐し、二重結婚までした人でなしなのです。
順に話していきましょう。
大正〇年、〈私〉は石狩川の上流から、素っ裸になって流され、炭坑王谷山家の別荘の裏手に流れ着きました。
〈私〉を介抱してくれたのは、小樽タイムスの記者Aでした。
意識を取りもどした〈私〉は、過去の記憶を失っていました。
記者Aが〈私〉の経歴を推測してくれましたので、〈私〉はとりあえずそれを覚えこみました。
すなわち、九州生まれの孤児であり、東京で事業に失敗したために自殺しょうとして、北海道の山奥に入り、誤って石狩川に転落した、というストーリーです。
二週間ほどして、谷山家の当主である龍代が別荘を訪ねてきました。
龍代が〈私〉にひとめ惚れしたので、〈私〉は婿養子に入ることになりました。
北海道きっての放埓者と言われた龍代は、結婚当時はまだ処女でした。
その上、結婚後はすっかりわがままな気質がおさまりました。
また、養子に入ってわかったのは、谷山家の財政が火の車だということです。
炭坑不況のため、儲からなくなっていたのです。
〈私〉は鰊の倉庫業を始め、谷山家の財政を立て直しました。
龍代との間に、長男、竜太郎もでき、幸せいっぱいの生活でした。
ところが、長男が誕生してから一年後、龍代は自殺してしまいます。
谷山家には遺伝性の病気があり、それがいよいよ龍代の身に現れてきたのです。
醜い姿を見られる前に死ぬ、ということでした。
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【承】キチガイ地獄 のあらすじ②
龍代が亡くなって、谷山家の人々は大あわてでした。
谷山家の血筋に伝わる業病のことが、世間に暴露されそうになったからです。
そこはなんとか抑え込んだものの、いまや谷山家再興の主となった〈私〉を手放すまいと、龍代の弔いからいくらもたたないうちに、後妻を探そうとします。
なぜか〈私〉はそれではいけないような気がしました。
また、なぜか石狩川の上流に行かなければならないような気がしました。
しかし、そこへ向かう途中で、谷山家の者に連れもどされてしまったのです。
さて、今朝のこと、〈私〉は失っていた記憶を急に取り戻したのです。
〈私〉は九州は福岡県朝倉郡の造り酒屋の三男、畑中昌夫です。
駒場の農科大学で政治問題に首を突っ込み、憲友会の総裁兼首相の白原圭吾を暗殺して、終身刑に処せられました。
そして、北海道樺戸の監獄に送られたのち、東京にいたときに恋仲だった、女給の鞆岐久美子の助けを借りて、脱獄したのです。
ひと月後、ようやく久美子と合流した〈私〉は、ふたりで山中をさまよったあと、石狩川の上流のずっと山奥に、ほったて小屋を建てることができました。
〈私〉たちは、その場所で畑を耕し、川の魚を釣り、木の実を採って、自給自足の生活を始めたのです。
〈私〉も久美子も、人間社会のわずらわしさに縛られないその生活を楽しみ、死ぬまでここで暮らそうと話しました。
〈私〉が二十一から二十五の歳まで、久美子は毎年子供を産みました。
男の子がふたり、女の子がふたりです。
家族全員が病気もせず、楽しく暮らしておりました。
【転】キチガイ地獄 のあらすじ③
〈私〉が二十五歳の夏のことです。
新聞社の飛行機が、小屋の上空を横切っていきました。
〈私〉は子供といっしょに小屋に逃げ込み、去っていく飛行機を不吉な面持ちでながめていました。
妻は、あれは自分たちを探しにきたのではないか、と不安がります。
〈私〉は、そんなことはないだろう、と言ったものの、不安です。
数日後、石狩川の上流で、崖から綱を伝って川におりて魚をとっていたときのこと。
向こうのほうから、洋装の青年が現れました。
〈私〉があわてて綱をのぼって逃げようとすると、青年がライフルを撃ちます。
弾は〈私〉がすがっていた綱に当たり、〈私〉は岩の上に墜落して、失神して、そのまま川にすべり落ちて流されていったのでした。
その青年こそ、新聞記者のAです。
彼は、谷山家の別荘を拠点として、山奥にあるという奇妙なほったて小屋を探しにきたのです。
ライフルを撃ったのも、撃ち殺そうというのではなく、威嚇のためでした。
それがたまたま綱に当たって、人が墜落したため、ショックを受けていました。
ところが、谷山家の別荘に戻ってみると、なんと〈私〉が流れてきたではありませんか。
こいつを介抱して話を聞きだせば、記事にして売れる、ともくろんで、Aは〈私〉を介抱したのです。
しかし、肝心の〈私〉は記憶喪失。
がっかりしつつも、転んでもタダでは起きないAです。
〈私〉を龍代に押しつけることで、たんまりと謝礼をせしめて、姿を消します。
そうしてAは、〈私〉のことをさらに調べ、本当の故郷のことも、暗殺のことも、みんな探りだしたのでした。
さらには、山奥にあるほったて小屋は、〈私〉の家だったに違いないと考え、記事にするための裏付け調査として、山奥に入りこみました。
が、ひと月後、Aはやせこけ、精神に異常をきたして、旭川の町に現れたのです。
Aは東京の目黒にある精神病院の副院長に引き取られることになりました。
Aは谷山家のことや、自分が発狂した原因にいたるまで、洗いざらい白状しました。
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【結】キチガイ地獄 のあらすじ④
白状の内容はこうです。
山に入ったAは、すんなりと〈私〉の建てた小屋を探しあてました。
そこには、久美子と四人の子供が、素っ裸で生活していました。
Aは谷山家を地獄に突き落とす大発見に、大喜びしました。
そのままこっそりと引きあげればよかったものを、Aはふらふらと小屋に近づいていきました。
もしかすると、久美子のヌード姿にムラムラしたのかもしれません。
Aは甘く見ていました。
山奥で子育てをしながら原始生活をしていた久美子は、すっかり凶暴になっていました。
おまけに、以前、石狩川のほうで銃声がして、夫が帰ってこないことから、夫は監獄の追跡者に撃ち殺されてしまったのだと思い込んでいます。
そこへ、ライフルをかまえた男がやってきたのですから、こいつが監獄の追跡者だと勘違いしたのです。
久美子は子供たちを守るために、男の背後から襲いかかって、ライフルを奪い取ると、逆に男を撃ち殺そうとしました。
しかし、安全装置がかかっているので撃てません。
そのすきに、Aは逃げ出しました。
久美子はライフルを撃つのをあきらめ、逆に持ってふりかざし、Aを追いかけます。
やがて、安全装置の外し方がわかったのでしょう、久美子は追いかけつつ、ライフルを撃ちました。
Aは命からがら逃げ続け、町にたどり着いたときには、気が狂っていました。
そんなAを引き取ったのが、精神病院の副院長です。
副院長は、Aの証言や、Aが撮影した久美子の写真などが、谷山家に重大な影響をおよぼすと考え、〈私〉を呼びました。
〈私〉は、自分の正体を世間にあかすかどうかの判断を、副院長にゆだねることにしたのですが……。
ここで、〈私〉が語っていた相手は言います。
〈私〉は谷山秀麿や畑中昌夫ではなく、新聞記者Aであると。
また、谷山秀麿は、いまは久美子と子供たちを呼び寄せ、竜太郎といっしょに、幸せに暮らしているそうです。
このまま、秀麿の正体は伏せられたまま、〈私〉はここで飼い殺しにされるようです。
さらに言われます、〈私〉が毎日同じことをしゃべっていると。
そして、ふと気がつくと、〈私〉は独房のなかで、話す相手もおらず、ひとりでしゃべっているのでした。
夢野久作「キチガイ地獄」を読んだ読書感想
夢野久作の作品のなかでは、異色の作品なのではないでしょうか。
陰鬱とした感じのない、ドタバタ喜劇なのです。
が、そう思って、笑いつつ読み終わり、しばらくすると……なんとも病的なものを含んだ後味が口のなかに残るのです。
その理由はすぐにわかりました、これは「鬱」ではなく、逆の「躁」状態の作品なのだ、と。
鬱病ではなく、躁病なのですね。
だからめちゃくちゃ明るくて、どこか病んでいる感じもするのです。
もちろん、そのように面倒くさいことを考えず、すなおに楽しめばよいのかもしれません。
ひとりの男の、波乱万丈と言いますか、破天荒と言いますか、あるいはマンガチックと言いましょうか、ともかく現実離れした人生ドラマが展開します。
新聞記者が、半野生化した女房に追い掛け回されるシーンなど、凡百のコメディ映画が真っ青になるような、視覚的なお笑い場面ではないでしょうか。
そして、お笑いばかりではなく、ラストにはどんでん返しがふたつも仕掛けられていて、ミステリ的な味を楽しむこともできるのです。
肩ひじ張らないエンタメ作品だと思います。