オンチの主要登場人物
又野末吉(またのすえきち)
製鉄所きっての怪力の持ち主。あだながオンチ。
戸塚(とつか)
製鉄所で油さしをしている小柄な男。あだなはリス。
三好(みよし)
製鉄所の修繕工。スラリとした好男子。
西村(にしむら)
製鉄所の事務所の給与係。。
中野(なかの)
第一製鋼工場の副主任。
1分でわかる「オンチ」のあらすじ
星浦製鉄所の三人の工員が、夜勤を終えて、朝、工場のテニスコートの近くを通りました。
今日は給料日だと話しています。
するとそのとき、コートのほうへ歩いてきた事務員が、後ろから歩いてきた作業服姿の男に、鉄棒で殴り殺されるという事件を目撃したのです。
なぐった男は、事務員が持っていたカバンを盗って逃走しました。
殺されたのは、工場の事務の給与係の男で、盗られたカバンには、今日配られるはずだった給料が入っていたのでした。
警察が捜査しますが、なかなか犯人がわかりません。
そのうちに、事件を目撃した三人が、各々に動きを見せるのでした……。
夢野久作「オンチ」の起承転結
【起】オンチ のあらすじ①
舞台となるのは星浦製鉄所です。
第一次世界大戦後の好景気に支えられ、昼も夜も轟音をたてて操業を続けています。
汽鑵場の裏にはテニスコートがあるのですが、近くを通るパイプからうるさい音が出るため、あまりプレイする人はいません。
また、このテニスコートでは、十月十七日の企業祭が近づくと、出し物の芝居を練習するために、昼休みに工員たちがやってくることがありました。
さて、十月十日の午前九時ごろのことです。
汽鑵部の夜勤を終えた三人の工員が、テニスコートを通り抜けました。
ひとりは、又野末吉、あだなをオンチという巨大な男。
ひとりは、戸塚という小柄な男。
もうひとりは、三好というスラリとした男です。
三人は、今日が給料日で、事務所へ行こうなどと話しています。
と、そのとき、後方のテニスコートに、事務員風の男がカバンをかかえてやってきました。
そのうしろから、作業服に地下足袋の男が、覆面で顔を隠して近づいてきたかと思うと、ステッキ状の鉄棒で事務員を打ちつけました。
三人の工員は、いつもの芝居の稽古だろう、と思ってそれを見ています。
事務員が倒れると、作業服の男は、白いハンカチでひたいの汗をふきました。
それから、事務員が持っていたカバンを盗り、第三工場の鋳造部付属の木工場の陰へと逃げていったのでした。
それでようやく三人は、これが芝居の稽古などではない、と悟ります。
すぐに倒れた事務員のもとに駈け寄りますが、事務員はすでに亡くなっていました。
ゴツイ身体に似合わず心優しい又野は、涙を流します。
死体の顔の血を拭いていた戸塚が、被害者は事務室の給与係の西村だと言います。
そこで初めて、賊が持っていったのが、自分たちの給料であることがわかったのでした。
戸塚は本工場に飛びこんでいき、そこを抜け、警察へ駆け込みました。
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【承】オンチ のあらすじ②
警察の捜査が始まりました。
当時、事務員の西村は、銀行へ行って製鉄所の資金の一部と工員の給料全部、合わせて十二万円を受け取り、カバンに入れました。
それから、人力車で製鉄所の裏門まで来ると、事務所へもどる近道をするために、テニスコートをぬけようとしたようです。
以上が被害者の足取りです。
目撃者となった三人は、警察で聴取を受け、解放されたのは、夜になってからでした。
三好が、「警察でひとつ言い忘れた」と言いだします。
犯人は地下足袋をはいていたことは警察で話しましたが、犯行後に白いハンカチで汗をぬぐったことは言い忘れていた、というのです。
それでも、ハンカチのことぐらいはいいだろう、という話になりました。
その後、一か月たっても、事件は解決しませんでした。
盗られたお金のありかと犯人を指摘した者には、一割のお金が、賞金として支払われることになりました。
又野と三好が、テニスコートのそばで話をします。
三好は、戸塚が共産主義者だと疑っています。
戸塚は、犯人が新しい地下足袋を履き、ハンカチを使っているのを見て、インテリだと気づいたはず。
それに、犯人は、西村が銀行からお金を出してくる日も時刻も知っており、テニスコートで殺せば、目撃者がいたとしても芝居の稽古だと思うだろう、と読めるくらい頭がよい、つまりインテリ。
戸塚はインテリの犯人からお金をせしめて、共産主義の地下の運動資金にしようとしているのではないか、と三好は疑っているのです。
続けて三好は、もうすぐ犯人がやってくる、と言います。
それはテニスをしに来るグループのことです。
いつもテニスをやる連中ならば、ここでは物音がうるさいこともよく知っています。
やがて、第一製鋼工場の副主任の中野学士と、行員の戸塚と、事務員の若手三人がやってきて、テニスの練習を始めました。
三好の話では、戸塚の妹が中野の家の家政婦をやっている縁で、こちらに採用されたとのこと。
また、中野は近々、社長の娘さんと結婚するため、家を買ったり、車を買ったりする必要があるようです。
テニスの練習の合い間に、戸塚が中野にからみます。
いま戸塚は、中野から新しい地下足袋を借りています。
この丈夫な足袋をどこで買ったのか、と戸塚が訊ねても、中野は返事もしません。
三好はこれで犯人がわかったと言い、今夜は自分につきあってくれるようにと、又野に言うのでした。
【転】オンチ のあらすじ③
第一製鋼工場の平炉は、不純な鉱石まじりの、賊に「�ハ(かわ)」と呼ばれるドロドロの火が流れています。
それをいま、作業服姿の中野学士がデッキに立って、見おろしています。
その背後には、作業服姿の戸塚の姿。
戸塚は、「返事を聞かせてくれ」と言い、「ここは熱いから、向こうで話しましょう」とも言います。
中野は、「ここで、この�ハの利用法を考えていたい」と言って断ります。
戸塚は、「十二万円の四分の一でいいからよこせ」と言います。
中野は「むしろ、お前たちこそあやしい」と反論します。
反論の理由はこうです。
以前、戸塚と三好と中野の三人でテニスをしていたところに、事務員の西村が通りかかったことがあります。
そのとき三好は「このうるさい場所で犯行があっても、誰にも聞こえない」と指摘していたのです。
だから中野は、戸塚と三好があやしい、と言うわけです。
戸塚は、中野がいま履いている太陽足袋が証拠だと迫ります。
犯人が履いていた足袋が太陽足袋でした。
中野は観念し、「金は、テニスの道具をしまってある部屋に、新聞紙にくるんでおいてある」と言って、鍵を渡そうとします。
受け取ろうとしたせつな、中野が足払いをくわせたために、戸塚は平炉に落ちていきました。
中野が白いハンカチを出して汗をふいているところへ、又野が現れました。
戸塚が殺されたことを怒る又野に、中野はタックルします。
もみ合いとなり、中野をかかえた又野は、彼を炉へ投げ込もうとするのですが、彼が暴れたために、ギリギリのところでとどまっていました。
が、そこへ、何者かが物陰から飛び出してきて、又野の腰を突き飛ばし、逃げていったのでした。
又野は、かかえた中野ごと、落ちそうになりますが、かろうじて左足がひっかかって、ぶら下がる格好になりました。
かかえている中野が熱さで暴れ、結局は焼けてしまい、又野も大やけどを負ったのでした。
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【結】オンチ のあらすじ④
早朝の星浦駅に、三好がやってきました。
工員らしからぬスマートな背広姿で、脇に四角い新聞包みをかかえています。
どうやら、一番列車に乗るつもりのようです。
三好は待合室に入りますが、切符売り場が開いてないのを見て、いったん外に出ようとします。
しかし、入口付近に、全身を包帯で包んだ巨大な白坊主が立っているのに気づいて、ギョッとしました。
よく見ると、それは人間でした。
包帯の間から見える目に、覚えがあります。
ハッとして逃げだそうとする三好に、後ろから白坊主が抱きついてきました。
白坊主は、三好の肩を羽交い絞めにして、腰掛にしりもちをつきます。
「俺がだれかわかるか」と白坊主が耳元でささやくと、その正体がわかった三好は、震えあがりました。
死んだ又野の幽霊だと思ったのです。
しかし、又野は幽霊ではありません。
死ななかったのです。
全身にやけどを負ったものの、製鉄所の病院で、今朝意識を取りもどしたのです。
又野は、三好が十二万円を持って駅に来るのではないかと思い、病院を抜け出し、目が眩むほど体が痛むのを我慢しながら、三好の命を取りにきたのでした。
又野は言います。
今度の事件は三好がたくらんだことだ、と。
三好が戸塚に知恵をつけ、中野学士をそそのかして西村を殺させた、それから又野を使って中野を片付けようとした、三好こそが製鉄所に入り込んだ共産主義者だ、と。
又野は三好を羽交い絞めにしたまま、腰掛に座りなおすと、全身の力をこめて三好を締め上げました。
三好は肩の骨を折られ、目を真っ赤にし、鼻と口から血を流しました。
そこへ、制服の巡査が駆けつけてきます。
又野は三好の死体を床に投げだし、自分がやったと認めました。
そうして、ようやく差し始めた朝の光の下、又野は気力がつきて、バタリと倒れたのでした。
夢野久作「オンチ」を読んだ読書感想
ほほう、夢野久作という人はミステリも書いたのか、というのが一読したときの私の感想です。
なにしろ、私のなかでは、夢野久作といえば怪奇幻想小説の作家というイメージが強かったものですから。
ただし、ミステリではあるのですが、今日の本格推理小説ほどに完全に理詰めで解決にいたる、というタイプのものではありません。
その代わり、と言っては変ですが、いくつか、きわめて残酷なシーンを入れることで、読者の目をひいています。
つまり、読者サービスです。
そのひとつめは、冒頭の殺人シーンです。
事務員が鉄棒で殴り殺されるのですが、それを見ていた三人の工員は、止めようとしません。
それにはちゃんと理由があって、そこは工員たちが以前芝居の練習をしていた場所だったからです。
こういうところが、とてもよくできています。
殺される被害者は悲惨な目にあっているのに、目撃者は「なんだ、芝居の稽古か」と、おもしろがっている。
なんとも残酷な設定です。
さて、もうひとつ、溶鉱炉でのシーンもなかなかのものです。
犯人をゆすろうとした男は突き落とされるし、犯人がわかった主人公は、取っ組み合いになって、ふたりとも突き飛ばされて落ちそうになります。
まるで、ハリウッド映画のワンシーンのようです。
論理性とか、犯人・犯罪の意外性とかは不足しているかもしれませんが、それを補って余りあるエンタメミステリーだと思います。