琴のそら音 夏目漱石

夏目漱石

夏目漱石「琴のそら音」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

著者:夏目漱石 1994年6月に国書刊行会から出版

琴のそら音の主要登場人物

靖雄(やすお)
主人公。日々の業務に追われる法学士。出世欲はなく読書と学問を愛する。

津田真方(つだまかた)
靖雄の高校時代からの友人。独自の研究と書籍の刊行を続ける文学士。頭の回転は早いがオカルト趣味がある。

宇野露子(うのつゆこ)
靖雄の婚約者。よく笑いアクティブに活動する。

1分でわかる「琴のそら音」のあらすじ

学生時代から親しくしていた津田真方と再会した靖雄は、遠く離れた戦地から妻の死を知った不思議な軍人の話を聞かされます。

帰りに偶然にも出くわしたのは遺体を運搬するふたり組で、靖雄の胸のうちの不吉な予感は膨らんでいく一方です。

怪しく光る赤い炎を目撃した際には、結婚を誓った仲の宇野露子に何か異変があったのではと気が気ではありません。

翌朝に露子の無事を確認した靖雄は、今まで以上に彼女のことを愛するようになるのでした。

夏目漱石「琴のそら音」の起承転結

【起】琴のそら音 のあらすじ①

優秀な友から聞かされる幽霊話

高等学校の頃から靖雄と同じクラスだった津田真方は、常に1〜2番目の成績をキープしていました。

40人中下から数えた方が早いくらいだった靖雄とは、なぜかだか気が合います。

大学では靖雄は法学部、津田は文学部と別の学科に進学しますがふたりの友情は変わりません。

今年の正月以来顔を合わせていなかった津田の下宿先へ、靖雄が訪ねていったのは桜が見ごろを迎えた頃です。

学位を取得してから少しだけふっくらとした様子の津田は、机の上に面白そうな本を広げて右のページの上に鉛筆で細かく書き込みを入れていました。

大学を卒業してからは勤め先のある芝と自宅を往復するだけの靖雄、好きな本を好きな時間に読むことができる津田。

間もなく所帯を構える予定がある靖雄に対して、いまだに津田は独身で自由気ままな下宿暮らしでうらやましい限りです。

現在では幽霊に関する書籍を研究しているという津田は、先日にインフルエンザにかかって亡くなった親戚の女性について語り始めます。

女性は結婚してまだ1年足らず、夫は陸軍中尉、所属先は日露戦争の第1司令官が率いる黒木軍。

女性は夫が出征する時に、万が一病気で死ぬようなことがあったら必ず会いに行くと約束していました。

赴任した満州である日の朝に夫が小さな手鏡をのぞき込んでみると、青白い妻の顔が映り込んでいます。

後になって調べてみると夫が鏡を見た時刻と、妻が息を引き取った時刻はぴったりと一致していたそうです。

津田の頭脳が明せきでうそを付かないことは靖雄も認めていますが、たたりや因縁だといった話は到底信じられません。

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【承】琴のそら音 のあらすじ②

極楽を上る途中で地獄とすれ違う

ひと通りお互いの近況を報告し合ったりしていると、上野の時の鐘が午後11時を告げる音が聞こえてきために慌てて退散しました。

津田の下宿先である白山御殿町から靖雄が住んでいる小石川までは、極楽水と呼ばれているやたらと陰気な坂を通らなければなりません。

2〜3日ほど前までは彼岸桜が咲いて春が来たと浮かれていたはずなのに、今夜は生ぬるい風が吹いてポツポツと冷たい雨まで落ちてきます。

坂の終わりが緩やかなカーブを描く10メートルくらい先に、ボンヤリと浮かび上がっているのは白いシルエットです。

間もなく靖雄のすぐ脇をすれ違ったのは白装束の布を被せた箱を棒を通して担いでいるふたりの男性で、葬儀所か火葬場へ向かうのでしょう。

ひとりが「昨日に生まれて、今日死ぬやつもいる」とつぶやけば、もうひとりが「寿命だから仕方がない」と返答します。

学校にいた頃はテスト勉強よりもベースボールに夢中、卒業してからはペンとインクの残りと月給の額で頭がいっぱい。

26年のあいだこれといった持病もなく健康体そのものだった靖雄は、自分が死ぬ可能性についてはこれまでは1回も考えたことがありません。

こうやって「極楽水」という意味深な地名がついた坂道を、4月3日の午後11時に上っていることが死に急いでいるような因縁に思えてきました。

この年齢になっても相変わらず出世や財産にはまるで興味がありませんが、これほど強く生への執着心が湧いてきたのは今日が初めてです。

【転】琴のそら音 のあらすじ③

大切な人の危機を赤く警告

竹早町を横切った先には江戸時代にキリシタンの弾圧に関わった宗門改役、井上筑後守のお屋敷にちなんだ切支丹坂です。

日本一勾配のきつい坂としても有名で、「命が惜しいものは用心」と書かれた看板も左側の土手に設置されていました。

普段からこの注意書を見かける度に滑稽だと無視していた靖雄でしたが、この夜だけは笑う気持ちになれません。

土手の横から突き出したエノキの枝に気をつけながら真っ暗で細長い谷道に沿って、茗荷谷へ向かってわき目も振らずに歩いていきます。

小石川から7〜800メートルほど奥まったところが靖雄の家がある台町ですが、道の真ん中に見えたのは赤く鮮やかに輝く火です。

屋敷の入り口に立ててあるガスライトではなく、盆に川に浮かべるとうろうでもなく、秋のお祭りで使うちょうちんでもなく。

この赤い光を見た途端に靖雄は未来の妻である宇野露子のことを思い出し、火が消えた瞬間に彼女の命が消えてしまうような恐怖に襲われてしまいました。

居ても立ってもいられなくなった靖雄は雨風にぬれるのも構わずに走り出し、ようやくわが家に駆け込んだのは間もなく12時の鐘が鳴る直前でしょう。

寝ずに待っていたのは露子の母親から紹介されてお手伝いさんとして雇っている高齢の女性で、汚れたコートの代わりにきれいな着替えを用意してくれます。

彼女が言うには真夜中に野良犬が遠ぼえをしている今日のような日には、翌日の朝になると決まって良くないことが起こるそうです。

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【結】琴のそら音 のあらすじ④

雨上がりの空に弾ける笑い声

夜が明け次第に露子の様子を見に行くつもりだった靖雄は、午前6時の鐘と同時に幅広い杉のゲタを履いて彼女の実家がある四谷坂町へ駆け付けました。

住み込みの学生や家事を手伝っている若い女性とも顔なじみなために、あいさつだけを交わして家の中に上がり込みます。

母親に露子の具合を尋ねてみたところ、昨日の夜に中央公会堂で開催されたチャリティー音楽祭に行ってずいぶんと遅くに帰ってきたそうです。

寝坊こそしたもののいたって元気なようで、慌てていたために髪形が乱れていてヒゲもそっていない靖雄の方がよっぽど病人に見えるでしょう。

神楽坂で早朝から営業しているという理髪店のことを教えてもらった靖雄は、露子が起きてくる前に身支度を整えることにしました。

従業員はカミソリの手入れをしている職人とタオルを畳んでいる見習いの少年、お客さんは火鉢の側で将棋を指している老人と薄っぺらい本を読んでいる若者。

若者が言うにはとぼけたことが書いてある本だそうで、著者は今の日本人がタヌキを軽視していることに警鐘を鳴らしています。

誰も彼もが西洋から輸入されたものに夢中になっている今の時代に、人をだますタヌキこそが日本古来の奇術だそうです。

昨夜の火の玉や犬の遠ぼえがタヌキの仕業だとしても、銀の音色のような露子の笑い声だけは決してまねできません。

見た目も内面もきれいさっぱりとした靖雄は、この世の春すべてを集めたかのような彼女の笑顔を見るために店を出るのでした。

夏目漱石「琴のそら音」を読んだ読書感想

高校時代はエリート街道まっしぐらだった津田と、落ちこぼれの主人公・靖雄との不思議な友人関係がほほえましいです。

早々と家庭を築いてお堅い職を得た靖雄と比べてみると、いまだに学生気分が抜けない彼とのコントラストも印象的でした。

人並み優れた頭脳に恵まれて自由な時間がありながらも、「幽霊」を熱心に研究してしまうキャラクターにも親しみが持てるでしょう。

リアリストを自称していたはずの靖雄が、夜の極楽水で正体の知れない不安に追いつめられていくシーンはホラーノベルにも負けていません。

やっとの思いで安全地帯であるはずの自宅に転がり込んだものの、またしても迷信マニアのお手伝いさんから自説を披露されてしまうのがほろ苦いです。

空を覆っていた雨雲だけでなく、靖雄の心のモヤモヤも晴れていくラストが爽快感にみちていました。

ストーリーの舞台になっている文京区周辺の起伏の激しい坂道も、肝試しのような気分で歩いてみると面白そうですね。

-夏目漱石

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