三島由紀夫「宴のあと」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

三島由紀夫

三島由紀夫「宴のあと」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

著者:三島由紀夫 1960年11月に新潮社から出版

宴のあとの主要登場人物

福沢かづ(ふくざわかづ)
ヒロイン。料亭のおかみ。男性的な決断力と女性的な情熱を合わせ持つ。

野口雄賢(のぐちゆうけん)
革新党の代議士。 理想家で質素な生活と身なりを好む。

永山元亀(ながやまげんき)
保守派の政治家。かづを妹のようにかわいがる。

山崎素一(やまざきもといち)
野口の選挙参謀。 精力的に動き回り現実的な処理をする。

沢村尹(さわむらいん)
野口のライバルで元総理。鎌倉に隠居しているが今でも影響力は絶大。

1分でわかる「宴のあと」のあらすじ

小石川で料亭「雪後庵」を切り盛りしている福沢かづ、ある時に客として訪れた政治家の野口雄賢。

社会的な立場の違いを乗りこえたふたりは夫婦として歩んでいきますが、野口が都知事選に駆り出されたことがきっかけで少しずつすれ違いが多くなっていきます。

選挙資金として自分のお店を抵当に入れたかづでしたが、野口は当せんには至りません。

雪後庵を取り戻すためにかづは野口と対立する政治家の力を借りて、ひとりで生きていくことを決意するのでした。

三島由紀夫「宴のあと」の起承転結

【起】宴のあと のあらすじ①

 

料亭の片隅から始まるロマンス

新潟県に生まれた福沢かづは早くに両親を亡くして、養子として引き取られた先は小料理屋を営む親戚です。

義理の両親との関係や田舎の閉鎖的な空気感になじめないかづは、店に通いつめていた男性客と一緒に上京しました。

まもなくその男性ともうまくいかずに独り身となったかづは、さまざまな苦労に耐えながら1軒の料亭を実業家の茶人から譲り受けます。

場所は起伏の多い小石川の高台、3000坪にも及ぶ小堀遠州流の名園、京都の名高い寺から移築された玄関と客間。

「雪後庵」は保守党の大物である永山元亀がパトロンとなったこともあって、政財界からの予約が舞い込んできて客足が途絶えることはありません。

ある年の11月に大使のクラス会を任されて、そこで知り合ったのが元外務大臣で革新党の野口雄賢です。

誰しもが赴任した国でのきらびやかな生活や出会った有名人にまつわる自慢話を披露する中で、寡黙でストイックな野口だけが過去を語りません。

妻とは終戦から間もなく病気で死別したという野口から、来年の2月に東大寺のお水取りを見に行くことを誘われました。

すっかり舞い上がってしまったかづは、野口がひとり暮らしをしている椎名町の古い一軒家に上がり込んで身の回りの世話を焼くようになっていきます。

2月の奈良への旅行には野口の友人たちも同行したために、ふたりの仲を公表するには絶好の機会でしょう。

かづと野口の結婚が新聞の一面に取り上げられたのは、その1カ月後の3月22日のことです。

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【承】宴のあと のあらすじ②

 

お騒がせカップルの変則的な新婚生活

翌朝になるとさっそく写真週刊誌の取材班に追い回されることになり、自分たちの結婚がこんなに世間から騒がれるとは夢にも思っていませんでした。

朝刊を見た永山はさっそく電話をかけてきて、かづは丸の内のビル街の1階に入っている事務所まで呼び出されます。

今まで保守党がひいきにしてきた雪後庵の女主人が、対立する革新党の顧問と結婚するのは道理に合わないと永山。

戦後の日本国憲法では、夫婦が別々の党へ票を入れたって構わないとかづ。

双方の主張は平行線のままでどちらも譲らずに、秘書が次の来客を案内してきたために面会は気まずいままで打ち切りです。

5月に行われた結婚式に永山は出席してくれましたが、保守党系の客筋が少しずつ減っていくことは確実でしょう。

かづは大人しく家庭に入っていられるような女性ではなく、そうかと言って野口ほどの有名人が雪後庵に住む訳にもいきません。

月曜日から金曜日までは働き詰め、週末になると山ほどの酒や食品を手土産に野口の家に滞在、月曜日になると小石川の仕事場に帰還。

型にはまらない生活が続くにつれて、マスコミばかりではなく雪後庵の常連客や野口の地元の後援会からも批判を浴びるようになっていました。

かづは世間の悪意に驚くばかりでしたが、そんなものは無視をするだけと野口の平然とした態度は変わりません。

夏場が近づくにつれて予想通り客足が遠のいていく中で、にわかに野口に舞い込んできたのが都知事選への出馬要請です。

【転】宴のあと のあらすじ③

 

忘れられた人に開く都知事への道

自らを「忘れられた人間」と謙遜する野口、本人以上に乗り気なかづ、党から派遣されてきたアドバイザーの山崎素一。

3人は毎週月曜日になると野口家に集まって、都政の問題を中心に2時間ほど論戦を交わしていました。

東京中の電信柱に貼り付けるポスターが30万枚で90万円、新しく青海にできた慰霊塔の寄付金が10万円、江東区の児童施設に差し入れするあんパンの値段が3000円。

事前運動や根回しには何かにつけてお金がかかりますが、かづは私財を投げ打つほどの覚悟があります。

相当な金額を注ぎ込んだことによって雪後庵も抵当に入っていてしまい、しばらくの間は料亭としての営業を見合わせるしかありません。

7月の下旬になって現職の都知事が辞職してすぐに公示が行われたために、8月10日の投票日までが勝負です。

野口の街頭演説は抑揚のないしゃべり方で、あらかじめ山崎と打ち合わせしていた通りに理想的な政策を並べるだけで盛り上がりに欠けます。

一方のかづの応援演説は至るところで拍手で迎えられて、庶民の感覚に訴える熱情的な調子が大勢の聴衆を引き付けていました。

夫婦仲が険悪になったのは、かづか野口に断りもなく宣伝用のカレンダーやパンフレットを印刷所に発注したからです。

ふとした瞬間にかづは、野口の先祖がまつられている青山の立派な墓地を思い出しました。

故郷を出てから1度も地元に帰っていないかづには、他に身寄りがいないためにお墓もありません。

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【結】宴のあと のあらすじ④

 

戦いは終わっても宴は終わらない

野口の対立候補は保守党がバックアップしているために圧倒的な資金力・人員、たくみな妨害工作を前にしては勝負になりません。

野口陣営の金が尽きる頃には結果は決まっているようなもので、20万票近くの大差を付けて保守候補が勝利を収めました。

敗戦が決まった夜に野口は潔く政界からの引退を表明して、これからはかづとふたりで老夫婦として静かな年金生活を送ることしか念頭にありません。

一方のかづは雪後庵に未練があるために寄付金を集めて駆け回り、たもとを分けたはずの永山までに接触します。

さらにはかつてこの国で何度も総理大臣を務めた沢村尹の隠居先、鎌倉の家にまで押し掛けて借金を申し込む始末です。

沢村は日本の保守勢力の記念碑とも言える存在で、革新党を率いて戦ってきた野口にとっては憎い政敵と言えるでしょう。

かづの裏切りに気がついた野口は、最後通ちょうとして二者択一を迫りました。

雪後庵を取り返すことをあきらめて建物と土地を売却するのか、野口家の人間ではなくなり無縁仏として葬られるのか。

話し合いの末に野口が離婚の手続きを進めて、かづが小石川の地に足を踏み入れたのは小春日和とも言える10月のある日です。

長く閉鎖が続いて離ればなれになっていた料理人や仲居も、次々と戻ってきてくれたためにかづは感激の涙を流します。

荒れ果てていた庭が美しく整えられていくのを眺めながら、かづは雪後庵の再開を祝う宴の招待状を書くために筆をとるのでした。

三島由紀夫「宴のあと」を読んだ読書感想

江戸時代からの植物園が立ち並ぶ小石川エリアに、ひっそりと明かりを灯して店を構えている雪後庵が美しいです。

料理屋というよりも庭園のような落ち着いたムードが漂う中で、季節の食材をふんだんに使用した懐石料理の数々が実においしそうでした。

およそ政治とは縁がなさそうな主人公の福沢かづが、夫の野口雄賢以上に政界への情熱を燃やしていく姿には迫力があります。

ヨーロッパの各国に大使として滞在していた経験もあるインテリ階級の野口、幼い頃から貧困生活に耐えて底辺からはい上がってきた庶民派のかづ。

だまし討ちから現金までが飛び交うドロドロの選挙戦の駆け引きに向いているのは、どちらなのかは言うまでもありませんね。

両者の考え方の違いが鮮明になった果てに、それぞれの道のりを進んでいくクライマックスには納得ができます。

悲壮感よりも清々しさの方が上回る別れのシーンに感動しつつ、愛よりも自由に生きることを選んだかづを応援したくなるでしょう。

-三島由紀夫

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