著者:江戸川乱歩 1926年1月に春陽堂から出版
屋根裏の散歩者の主要登場人物
郷田三郎(ごうださぶろう)
仕事にも遊びにも熱意を持てない男。
明智小五郎(あけちこごろう)
素人探偵。
遠藤(えんどう)
歯科医学校を卒業して、現在は歯科医の助手をしている男。
北村(きたむら)
同じ下宿に住む、遠藤の同郷の友達。
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1分でわかる「屋根裏の散歩者」のあらすじ
仕事にも遊びにも熱中できるものがない郷田三郎は、引っ越した先の下宿屋で、屋根裏の散歩をすることに生きがいを見出します。
天井裏から各部屋をのぞいて、住人の、表とは違う裏の顔を見るのが楽しみでした。
が、そのうち、遠藤という嫌いな男を、完全犯罪で殺してやろうと思い立ちます。
天井の節穴から、寝ている遠藤の口に毒薬を落とし入れ、毒のビンを部屋に転がしておくのです。
密室で見つかった死体を検分した警察は、自殺したものと判断します。
うまくいったかに見えたのですが、そこに明智小五郎がやってくると……。
江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」の起承転結
【起】屋根裏の散歩者 のあらすじ①
郷田三郎は、どの仕事も、どの遊びも、おもしろいとは思えず、熱意を持てないでいました。
二十五歳になると仕事もせず、親の仕送りでブラブラするようになりました。
せめて、少しでも変化をつけようと、頻繁に下宿屋を引っ越しています。
そんな彼が、あるとき、素人探偵の明智小五郎と知り合いました。
郷田は、明智から様々な犯罪談を聞くのを楽しみにしました。
また、自分でも、犯罪に関する書物や、探偵小説を読み、目覚ましい犯罪を実行してみたいものだ、とあこがれました。
しかし、犯罪はやってみたいものの、警察に捕まるのはおそろしい。
そのため、郷田は、真の犯罪ではなく、犯罪のまね事をいくつか行なうにとどめました。
初めのうちは、それでもスリルがあって楽しかったのですが、三月もすると、飽きてしまいました。
そうして、明智との交際もしなくなっていきました。
明智と知り合ってから一年後、郷田は、新しくできたばかりの東栄館という下宿屋に入ることができました。
部屋は二階で、一間の押入れがあり、まん中の棚で、上下段に分かれています。
郷田は上段に布団を敷き、押入れで寝ることにしました。
押入れに横になってふすまを閉めると、探偵小説のなかの登場人物にでもなったようで、ワクワクしたものでした。
二、三日そうしたあと、郷田は天井の板が外れることに気がついたのです。
電気の作業員が天井裏に上がるために、開けられるようにしてあるのでしょう。
天井裏をのぞいてみると、新築の建物ですから、蜘蛛の巣もなく、きれいな未知の世界が広がっていました。
太い棟木が通り、棟木と直角にあばら骨のようにたくさんの梁が横へニョキニョキと突き出し、梁から天井を支えるための無数の細い棒が下がっています。
郷田は、昼となく、夜となく、「屋根裏の散歩」をするようになりました。
泥棒猫のように、物音をたてず、天井裏の棟木や梁の上を伝い歩くのでした。
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【承】屋根裏の散歩者 のあらすじ②
東栄館の建物は、まん中に庭があって、そのまわりに桝形に部屋が並んでいる、いわば四角いドーナツのような造りです。
したがって、屋根裏をずっと散策していくと、ぐるりとまわって郷田の部屋にもどってきます。
郷田はこの楽しみを奥深くするため、服装にも凝りました。
ぴったりした上下服に、足袋を履き、手袋をはめ、ピストル代わりに懐中電灯を持ちます。
そうやって、そろりそろりと天井裏の棟木の上を伝っていくと、自分が蛇にでもなったような気分で、たまらなくゾクゾクするのでした。
安普請の建物ですから、天井には隙間もあれば、小さな節穴もあります。
そこから各部屋をのぞくと、人々の秘密の姿がさまざまに見えてきます。
とても楽しい。
また三部屋にひとつは、郷田の部屋と同様に、押入れの天井板がはがれるようになっています。
天井側からその部屋に泥棒に入るのは簡単です。
ただし、見つかることを恐れ、郷田は実行する気はありません。
さて、ある日のこと、郷田がまた屋根裏を散歩していると、ある部屋の天井板に、大きめの節を見つけました。
節はほとんど取れそうで、下のほうが径が小さい円錐状になっていて、落ちる心配がありません。
節を取って、節穴からのぞくと、そこは、東栄館で郷田が一番きらいな遠藤という男の部屋でした。
彼は几帳面な男で、いまは仰向けに口をあけ、いびきをかいて眠っています。
その口がちょうど節穴の真下なのです。
以前、遠藤から、致死量のモルヒネを持っているのを見せてもらったことがあります。
あれを盗んで、水に溶かし、寝ているときに、天井の節穴から彼の口にたらしてやったら、簡単に殺せます。
郷田が天井から毒殺したなどとは、だれも思わないでしょうから、捕まる心配もありません。
犯罪を犯してみたい、という欲望がムラムラと湧き起るのでした。
【転】屋根裏の散歩者 のあらすじ③
殺害を計画してから四、五日後、郷田は遠藤の部屋を訪れました。
虫唾の走る男ですが、その感情を表へ出さず、また、「お前を殺すつもり」と言いそうになるのをこらえ、郷田は雑談を続けました。
夜の十時ごろ、遠藤がトイレに立ちました。
そのすきに、郷田はあたりに気を配りつつ、押入れをあけ、行李のなかから、モルヒネの入った薬瓶を盗み出したのでした。
郷田としては、この毒薬を盗み出すのが、この計画のなかで一番危ない部分なのでした。
ドキドキしながら、無事に盗み出した郷田は、自分の部屋に帰ると、白い粉の入った瓶に水を入れて溶かしました。
しかしそのとき、大変な考え違いに気づきました。
あの夜は、天井の節穴と、遠藤の口とが一致していました。
でも、毎晩そうだとは限らないのです。
そのことがひらめいて、郷田はむしろ、やれやれと思いました。
これで殺人犯にならずにすんだのですから。
とはいえ、それから毎日、屋根裏を散歩するとき、郷田は薬瓶をポケットにしのばせていました。
するとある夜、あの天井の節穴の位置と、遠藤の口の位置が、ぴったりと一致したのです。
郷田はポトリポトリと数滴の毒薬を落としました。
それは遠藤の口へと入っていきました。
やがて遠藤が何度も寝がえりをうちます。
その寝がえりの力が弱まっていき、今度はものすごいいびきをかき、顔色はまっ赤になって、汗を噴き出します。
その顔色がだんだんと青白く変わり、いびきも止まりました。
死んだようです。
郷田は薬瓶を節穴から落としました。
こうすれば、密室の中、遠藤が服毒自殺したように見えるはずです。
部屋にもどった郷田は、薬瓶の蓋をポケットに入れたままだったことに気づきました。
あわてて天井裏を遠藤の部屋の上まで行って、節穴から蓋を落としました。
これで完璧です。
朝食の時まで、遠藤が死んでいるのは見つかりませんでした。
郷田は、死体が発見されたとき、疑われるようなリアクションをとるのを避けようと、さっさと外出したのでした。
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【結】屋根裏の散歩者 のあらすじ④
郷田が昼ごろに下宿にもどったときには、遠藤の死体は片付けられて、警察の臨検もすんでいました。
遠藤は密室で死んでおり、モルヒネの瓶がそばに転がっていたので、自殺ということで片付けられていました。
自殺の動機はよくわかりませんが、遠藤が最近失恋したという話を友人にしていたので、失恋のせいで自殺したのだろう、ということになりました。
郷田はしばらくの間びくびくしていましたが、だんだんと落ちついてきます。
遠藤が死んで三日目に、久しぶりに明智が訪ねてきました。
遠藤の自殺のことを聞きつけて、興味を持ってやってきたようです。
郷田は、さすがの明智もこの事件はわかるまい、と心のなかで驕ります。
しばらく話したあと、遠藤の部屋の鍵を預かっている友人に頼み、三人で遠藤の部屋に入りました。
そのとき、目覚まし時計のことが話題になりました。
遠藤が死んだ朝も、六時に目覚まし時計が鳴ったというのです。
自殺する人間が、目覚まし時計をセットするのはおかしい。
明智の意見に、郷田は、彼を遠藤の部屋につれてきた自分の愚かさを後悔するのでした。
郷田の部屋にもどり、明智と話をしていて、愛煙家だった郷田が煙草を吸わないことを指摘されました。
そういえば、遠藤が死んだ日から、吸いたくなくなったのです。
それからしばらくは何事もなくすぎて、再び郷田はホッとしました。
ところがある日、押入れを開けると、そこに明智がいるではありませんか。
郷田と同じように屋根裏を散歩してここへ降りてきたのだ、と明智は言います。
そして、郷田のシャツのボタンを、屋根裏の遠藤の部屋の上で拾った、と言って、そのボタンを見せたのです。
郷田は、もうだめだ、と観念して、すべてを打ち明けました。
すると明智は、自分は真実が知りたかっただけで、君を警察に突き出す気はない、と言います。
また、なぜ疑ったのかというと、ひとつは目覚まし時計の件、もうひとつは、几帳面な遠藤が薬瓶を転がし、中の毒をこぼしていたのが不自然だった、ということでした。
こぼれた毒液は、遠藤の煙草にかかりました。
それを見ていた郷田は、意識下でそれを覚えており、煙草嫌いになった、ということでした。
江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」を読んだ読書感想
倒叙ミステリです。
すなわち、犯罪が行われ、あとから探偵が事件の謎を解き明かす、という形式のミステリです。
一応そういうことなのですが、この小説のなによりおいしい部分は、主人公の郷田三郎が屋根裏を散歩する、という異常行動の魅力にあります。
事細かに描かれる屋根裏のなんと魅力的なことでしょうか。
そして、他人に知られることなく、他人の秘密をのぞき見ることができる。
それは、H・G・ウェルズが「透明人間」で示したのと同じ出歯亀趣味です。
他人は自分を見ることができない。
しかし、自分は好きなだけ他人をのぞくことができる。
なんと甘やかな誘惑にかられる遊びでしょうか。
それまで、仕事にも、遊びにも、なにひとつ熱中できなかた主人公の郷田が、これだけはゾクゾクしながら実行できた、というのも、充分に納得がいきます。
そうした出歯亀趣味の上に、さらには殺人の誘惑までが出てきます。
密室完全犯罪を行い、自分は絶対に捕まらないのです。
捕まらないならば、殺してみたい、という主人公の気持ちも、充分に説得力があります。
つまり、出歯亀趣味と、完全犯罪への誘惑、このふたつの禁断の願望を満足させてくれるところに、この小説がウケた原因があるのだと思うのです。