著者:芥川龍之介 2012年10月に角川文庫から出版
芋粥の主要登場人物
五位(ごい)
本作の主人公。みすぼらしい四十路の小物でみなから疎んじられいじめられ笑いものにされている。芋粥が大好物で飽きるまで食べてみたいと夢見ている。
藤原利仁(ふじわらのとしひと)
五位が仕える藤原家の貴族。五位に芋粥をふるまう。親切の陰に五位への意地悪さが透けて見える
五位の同僚たち(ごいのどうりょうたち)五位の酒を小便にすり替えるなどたちの悪いいたずらを続ける。
1分でわかる「芋粥」のあらすじ
あるところに風采の上がらない五位(低い位のこと)がいました。
五位は上司や同僚はもちろん町の子供たちにも馬鹿にされみじめな生活を送っていました。
そんな五位にも夢がありました。
大好きな芋粥を飽きるほど食べるというものです。
ある正月の日、宴席の後始末をしているときに芋粥を舐めた五位は思わず「芋粥に飽きてみたい」と呟いてしまいます。
それを聞いていた周囲は五位をはやしたてます。
そこに現れた藤原利仁は「では私があなたに芋粥をたらふく御馳走しよう」と五位に告げるのです。
五位は利仁の館で庭一面で煮られた大量の芋粥を振舞われます。
食べる前から満腹になったげんなりとした気持ちで五位は用意された芋粥を飲みます。
やっと半分平らげたところに昨晩旅の道中に現れた狐が再び姿を現し館のものは五位のことなどどうでもよくなり狐に夢中になります。
五位はこれで芋粥の夢など見ずに済むと安堵しながら器に盛大なくしゃみをするのでした。
芥川龍之介「芋粥」の起承転結
【起】芋粥 のあらすじ①
主人公なのですからちゃんと姓名を書くべきでしょうがどの日記にもそのものの名前は残っていません。
主人公は仮に五位(低い身分の侍のこと)と呼ぶことにしましょう。
五位は全く風采の上がらない男です。
背が低く赤い鼻が目立ち口ひげは貧相で、こけた頬に細い顎をしています。
とにかく例を挙げればきりがないほどみっともない容姿をしていたのです。
彼が藤原家に仕えるようになったいきさつは誰も知りません。
五位はとっくに四十を超えた中年男でした。
ただひたすら毎日毎日同じ仕事を繰り返していて、果たしてこの男に若いころなどあったのだろうかと誰も思いもよらないのでした。
とにかくこんなみすぼらしい彼が周囲から受ける扱いがどんなものかは説明するまでもないでしょう。
五位がそばを通っても誰もが彼がいないかのようにふるまい、用事を言いつけるにしても子供にするようにてまねきでそばへ呼びます。
もしなにかしら不手際があったとしてもそれはすべて五位のせいです。
暇なときは五位の姿を上から下まで舐めるように見ていびつな形の烏帽子やら擦り切れた藁草履を確かめては鼻で笑ってそっぽを向く始末です。
このような目に遭っていながらも五位は腹を立てたことはないのです。
彼はこころが広いわけではありません。
根っからの臆病な小心者だったのです。
さらにたちの悪いことに同僚たちは、年下の同僚も含めて五位をいじめます。
ひどい時には五位の酒が小便にすりかわっていたほどです。
そこまでされても五位は泣いているのか笑っているのかわからない顔をして「いかんのう、あなたがたは」と口ごもるだけです。
街の子供たちにまではやしたてられ、五位は薄汚い野良犬のような、周囲に軽蔑された日々を続けていくのです。
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【承】芋粥 のあらすじ②
疎んじられ嘲笑われなぶりものにされるみじめな五位。
そんな五位にも秘めた夢がありました。
五位は芋粥が大好きでした。
激しく執着しているといっても過言ではありませんでした。
「飽きるまでたらふく芋粥を食べてみたい」それが五位の夢でした。
芋粥とは薄く切った山芋を甘葛の汁でできた甘味料で煮たものです。
シャキシャキとした山芋を自然の甘味料で煮つけたこの一品は当時非常に珍重され、ときの天皇の膳にまで上がるほどの飛び切りの一品でありました。
ですので五位程度の身分ではとてもではないけどそうそう口にできるものではありません。
年に一度、貴族の宴の残り物の後片付けの際に口に入るか入らないかのものでした。
もし口に入ったとしてもごくごくとあおり飲むことなどできませんでした。
わずかに喉を濡らせるかどうかの量でした。
五位はその芋粥を飽きてしまったと思うほどにおなか一杯に食べたいと常日ごろ思っておりました。
その夢を彼は一度たりともほかの人に言ったことはありません。
馬鹿にされ軽んじられる五位ですが、彼には確かな夢があるのです。
一生の中で強い夢を持つことはまさに「生きている」ということでしょう。
私たちは誰も五位の欲望を笑うべきではありません。
さて、ある正月の二日、五位の仕える藤原家で臨時の宴が催されました。
五位たちは饗宴の残りの残飯を平らげていました。
取り揃えられた料理の中に五位の大好物の芋粥もありました。
五位はわずかに残ったその芋粥のつゆを平らげました。
彼は思わずつぶやきました。
「いつになったらこの芋粥に飽きることができるかなあ」と。
【転】芋粥 のあらすじ③
その切なるつぶやきを聴いていたものがいました。
藤原家の出世頭、藤原利仁でした。
立派な武人のおおらかな声に五位は卑屈な体で彼を拝み上げました。
利仁は続けました。
「そんなに芋粥を飽きるまで食べたいのならこの利仁がふるまいましょう」五位は周囲の無言の圧力に負け「かたじけのうございます」と返事しました。
宴の間にいた侍たちが、なにより一番大きな声で利仁が笑い声をあげました。
それは五位のいじきたなさを笑いものにするのが目的でしたが、五位は周囲の声ももう耳に入りませんでした。
彼はまるで乙女のように上気したお面持ちで芋粥に思いをはせるのです。
数日が過ぎ、利仁はほんとうに五位に芋粥をふるまうために彼を連れて馬の旅路にいました。
粟田口よりも山科よりももっと遠くの敦賀まで、足を運び芋粥を饗応しようという利仁の案に五位は面喰らいました。
遠く敦賀の国へたった二人でどうして無事にたどり着けましょうか。
盗賊にでも襲われたら万事休すです。
しかし利仁は堂々としたものです。
そのときふと利仁が言いました。
「よい死者が参りました。
敦賀のものへ言付けを頼みましょう」利仁が声をかけたのは一匹の狐でした。
利仁は唐突に鞭をならしたので狐はあっという間に姿を消しました。
利仁の館には翌日たどり着きました。
五位は利仁の館の一間を与えられましたが、まんじりとせず過ごしていました。
「芋粥に飽きる」という事態が目の前に迫っているのです。
五位は悩みました。
芋粥に飽きるということが起これば何年も忍従してきたことが無駄になるような気がしてきました。
できればなにかしら困難があって芋粥を食べる機会が遠のき、そののちまた芋粥を食べることができればな、ととりとめのないことをぐるぐると考えてしまうのです。
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【結】芋粥 のあらすじ④
翌朝五位は目を覚ましすぐに部屋の蔀を開けてみました。
寝過ごしてしまったのでしょう。
広い庭にはすでに芋粥を調理する準備ができていました。
長むしろの上に丸太が積んであります。
いえ、それは大きな山芋でした。
さらに新しくこのために打ったのでしょう鉄窯がいくつもあり、その周囲を忙しく下女や下男が走り回っています。
それぞれてきぱきと工程をこなし、芋粥が次々と煮あがってまいります。
庭は窯の下から舞い上がる煙と、芋粥から湧き上がる湯気で何も見えません。
この景色を見て、長い旅を経てまで敦賀にたどり着いた五位の、それでも芋粥に対する執着はいくらか失われてしまいました。
五位は利仁や、利仁の舅の有仁ともに朝飯の膳をかこみました。
五位は調理人たちが芋をこそぎ、下女たちが芋をどかどかと鍋に入れ、甘葛とともに煮られ、その湯気がもうもうと天に昇っていく様を見ました。
その様子を思い出すにつけ目の前の大きな銚子に入った芋粥を、飲む前から満腹に感じてしまうのです。
舅の有仁もそそのかし、さらに銚子を並べます。
その銚子にはどれもなみなみと芋粥が注がれていました。
五位はいやいやながらに銚子の芋粥を飲みました。
もう十分だという五位に有仁たちはさらに芋粥を勧めます。
そのときです。
庭に昨晩の狐が現れたのです。
「おお狐だ。
さては狐も芋粥のご相伴に預かりに来たな。
ふるまってやれ」利仁たちはもはや五位がいたことも忘れ、狐の振舞いに大騒ぎです。
五位は芋粥を飲む狐を見ながら思い出しました。
敦賀へ来る前の自分のことです。
打擲される野良犬のような天涯孤独な自分。
しかし彼は内面では幸せでした。
芋粥を飽きるまで食べるという夢があったからです。
その夢がかなった今、五位はもう芋粥を飲まなくてもいいという安堵の心とともに銚子に大きなくしゃみをするのでした。
芥川龍之介「芋粥」を読んだ読書感想
芥川龍之介の短編小説です。
なんとも不思議な読後感がある小説です。
主人公の五位がもう芋粥をたらふく飲む夢を見なくて済むと安堵するあたりは読み手によって解釈が分かれそうです。
私は五位が実は足るを知る男で、芋粥の夢こそが分不相応な欲望だったのではないかと考えます。
彼は町の子供にも馬鹿にされるみじめな男ですが、それもまた自分と受け入れているのではないでしょうか。
嘲笑われののしられ馬鹿にされ、誰も彼を顧みませんが、自分はそんな生き方なのだと五位は折り合いをつけているのではないでしょうか。
一見皆に馬鹿にされている五位ですが、小説を読む限り愚かなのはどちらでしょう。
酒を小便にすり替える同僚たちや、犬をいじめる子供たちや、財力をもってとても飲めない量の芋粥を五位につきつける利仁ではないでしょうか。
そう考えるとひたすらみじめに描写される五位が修行に励む行者のような尊さを秘めた人物に見えてこなくもないでしょうか。
芋粥の呪縛からさえ自由になった五位はまたいつものさえない生活に戻るのでしょう。
が、それは本当にみじめなのでしょうか。
本当にみじめでいじましい人間性なのは誰なのでしょうか。
この物語にはそんなユニークな問いかけが隠されていると私は思っています。