荻原浩「誰にも書ける一冊の本」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

荻原浩

荻原浩「誰にも書ける一冊の本」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

誰にも書ける一冊の本の主要登場人物

私(わたし)
物語の語り手。広告の制作会社を経営。過去に小説を2冊だけ発表したことがある。10代後半で東京の大学に合格てからほとんど実家に帰っていない。

父(ちち)
私の父親。 80年以上を北海道で暮らす寡黙な男。

辺見(へんみ)
私の仕事上のパートナー。幾度となく会社の危機を救う。

貝沢実吉(かいざやみよし)
父の小学校時代の友人。 アイヌの家系に生まれて相撲が強い。

小関(こぜき)
父の戦友で義理堅い。秋田で酒屋を営む。

1分でわかる「誰にも書ける一冊の本」のあらすじ

長らく疎遠にしていた父に死期が迫っていることを知らされた「私」は、都内から実家のある北海道函館市へと急ぎます。

経営者の他にも小説家として著作を刊行したこともある私が託されたのは、倒れる直前まで書きためていたという原稿です。

読んでいるうちに直接的は理解できなかったはずの父の胸のうちに触れていき、私にも微妙な心境の変化が…間もなく父が亡くなり原稿の中に登場した人たちが葬式にやってきたのを目の当たりにして、私は自分の物語を本にすることに決めるのでした。

荻原浩「誰にも書ける一冊の本」の起承転結

【起】誰にも書ける一冊の本 のあらすじ①

病床の父からの最後のお願い

地元・北海道での浪人生活を経て大学に進学するために19歳で上京してからというもの、私は長らく帰省していません。

広告代理店を辞めた後に自分の会社を起こしたものの、従業員はアルバイトも含めて5人でオフィスは都心のワンルームマンション。

経営が決して安泰ではないのと航空運賃がもったいないことを言い訳にしているうちに、今年85歳になる父が危篤だとの知らせが届きました。

得意先から古株のアートディレクター・辺見に電話をかけていったん自宅に戻り、簡単な旅支度をして飛び乗ったのは羽田発函館着の最終便です。

体温、血圧、心拍数、脈拍数… それぞれの数値が絶望的な値を更新するたびに、目の前の人工呼吸器はデジタル数字を点滅させています。

機械から伸びた何本ものコードの先につながれている父は、「お迎え部屋」と呼ばれる重篤な患者専用の個室に寝ているためにもう意識は戻らないでしょう。

私が母からたくされたのは400文字詰めの原稿用紙の束で、3年くらい前から父がコツコツと書き続けていたものだそうです。

広告業の片手間に小説を書いてマイナーな文学賞を受賞した実績がある私に、読んでできれば本にしてやってほしいと頼まれてしまいました。

人は誰でも一生に1度は1冊の本が書けると言われていますが、他人に読ませるほどの価値があるかは分かりません。

「長く短い物語」とタイトルが付けられた手書きの原稿を、最後の親孝行だと思って私はとりあえず読んでみることにします。

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【承】誰にも書ける一冊の本 のあらすじ②

若き日の熊退治の武勇伝

会津から北海道に入植してきた少年時代の父にとっては、アイヌの村に住んでいた貝沢実吉は1番の親友でした。

先住民族として当時はまだ理不尽な差別を受けていた貝沢一家、よその土地からやってきた「シャモ」としてなかなか受け入れてもらえなっかた父の一家。

それぞれの立場を乗りこえた両家の付き合いが始まると、父と実吉との友情はより揺るぎないものへと変わっていきます。

小学校のわんぱく相撲では横綱の座を争って幾度となく名勝負を繰り広げた小学校の相撲大会、スキーやスケートに連れ立って出掛けた中学時代。

その実吉と体長2メートルを上回る熊と対決して、大ケガを負ったと原稿用紙には書かれていましたが私は到底信じることができません。

父の背中には確かに大きな傷あとがありましたが、農作業用のコンバインに巻き込まれた時にできたものだと聞いていたからです。

原稿を読んでいると病室から生体情報モニターのブザーが鳴り、3時間後に父は息を引き取りました。

霊安室には葬儀会社の案内チラシが貼ってあるために、考える余裕もなくそこに記されている電話番号に連絡を取ります。

病院から実家に遺体を運ぶ最中に父の傷を見て、間違いなく熊に襲われたものだと断言したのは葬儀社の社長です。

「道産子の勲章」という社長の言葉を聞いて、一瞬だけ父の唇が自慢げに薄く開いたのは気のせいでしょう。

お見送りにきた親戚たちがいったん引き上げた夜遅く、私は遺体が安置されている寝室に一升瓶とふたつのコップを持ち込んで原稿の続きを読みます。

【転】誰にも書ける一冊の本 のあらすじ③

現代にまで続いている戦争

文学に興味を持っていた父は英文科に進学することを考えていましたが、世の中の流れがそれを許してはくれません。

英語は敵性語、物書きは文弱の徒、軍隊に入らない男は落ちこぼれ… 1941年に太平洋戦争が勃発すると、父は大学をあきらめて海軍航空隊に志願しました。

同じ班には小関という青年がいましたが、ある時に官給品の靴を失くした彼をかばって父は上官に殴られます。

その後小関は沖縄戦で片足を失いますが何とか生き延びて、故郷の秋田県へ戻って家業の酒屋を継いだそうです。

10年に1度は父と酒を酌み交わす仲を続けていたようで、小関があの時の恩を忘れたことはありません。

昔から私の実家には北海道の地酒ではなく秋田産の銘酒が多かったことを疑問に思っていましたが、ようやくその理由がハッキリします。

1944年にマレー半島のアエルタワル基地に配属された父が、敵機と遭遇したのはパトロールの任務を終えて帰還する時です。

突如として空中戦が展開、コックピットから見える相手は自分と同世代の若いアメリカ人兵士。

必死になって応戦しているうちに、いつの間にか相手の機体を海を撃ち落としたことを父は生涯に渡って後悔していました。

誰かを「殺した」という点では私にも思い当たることがあり、7年ほど前に会社が傾き始めた頃に下請けのデザイン会社との契約を一方的に打ち切っています。

3年前にそこの社長が自殺したと聞いていて、「やらなければ、やられる」の理論は戦時下でも今の時代でも同じことでしょう。

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【結】誰にも書ける一冊の本 のあらすじ④

父から子へ受け継がれる物語

通夜が終わる頃には再び雪が強く降り始めていて、告別式の朝を迎える頃には街全体が真っ白に埋もれていました。

1人、2人、3人、4人… 普段でも交通量の少ない坂の上からは、コートの下に喪服を着たシルエットが順番に現れます。

雪の中で立ち往生していたタクシーの中から先陣を切って出てきたのは、ステッキをついて片足がないもののしっかりと雪道を踏みしめて進んでくる老人。

私は彼とは会ったことはありませんが、小関であることは間違いありません。

市電の停留所へつながった道からは熊のような巨漢の老人が現れて、彼が貝沢実吉であることも確実です。

父の物語に出てきたふたりの登場人物は、初対面のはずなのに昔からの知り合いのようにすっかり打ち解けた様子でした。

私がやり残してきた取引先とのプレゼンを無事に済ませた辺見も、来なくてもいいと言ったのに社の代表として参列してくれます。

その隣の黒のトレンチコートを着た若い女性は、私が別れた妻とのあいだに授かった娘の香乃です。

どこへ行くのにもお気に入りの赤いダッフルコートだった、幼い頃の面影はありません。

父の原稿は最後の方になると誤字や脱字が目立つようになり、筆圧も弱くなっていたのは病気の影響なのでしょう。

それでも末尾に「人生は何をなしたかではない、何をなそうとしたかだ」という、息子への力強いメッセージを残しています。

私はしばらく中断していた執筆活動を再開して、まっさらな1ページ目から新しい物語を作ることを決意するのでした。

荻原浩「誰にも書ける一冊の本」を読んだ読書感想

人生の大半を北の大地で静かに過ごした武骨なおやじ。

そんな父親を反面教師にするかのように、息子の方は大都会で暮らし生き馬の目を抜く広告業界を渡り歩いていくのが印象的です。

ふたりの間には単に物理的な距離が横たわっていただけではなく、価値観の違いやジェネレーション・ギャップがあって埋められなかったのでしょう。

生前には決して分かり合えなかった親子が、1枚の原稿用紙を通して心を通わしていく様子にほのぼのとします。

大自然のフィールドで熊に遭遇して命からがら逃げ出したり、第2次世界大戦下における激戦地という非日常をくぐり抜けてきたり… 平凡に思えていた父の人生にも、ドラマチックな出来事の数々が隠されていて驚かされました。

物語の中にしか存在しなかったような父の知人たちが、葬儀に駆け付けてくる終盤のシーンが感動的です。

父の生きざまを受け入れていくかのように、主人公が自分自身の人生を見つめ直していくクライマックスにも共感できました。

-荻原浩

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