著者:夏目漱石 1905年1月に青空文庫から出版
吾輩は猫であるの主要登場人物
苦沙弥(くしゃみ)
登場する猫の飼い主で、職業は教師。
迷亭(めいてい)
主人公の苦沙弥の友人で、美学者。
水島寒月(みずしまかんげつ)
苦沙弥の元門下生で、卒業後に理学者になる。
多々良三平(たたらさんぺい)
主人公の苦沙弥の家の元書生。鉱山会社に勤めている。
金田(かねだ)
事業に成功している実業家。
1分でわかる「吾輩は猫である」のあらすじ
この物語は、「吾輩は猫である、まだ名はない」という書き出しで始まる有名な小説。
この猫の吾輩は、主人公の苦沙弥に保護され、彼の家で生活することになります。
主人公を取り巻く、美学者の迷亭や、ヴァイオリンに夢中理学研究者の水島寒月、猫鍋が大好きな多々良三平などの個性豊かな人物たちと関わり合いながら、いろいろな経験をして、幸せに生活するのですが、吾輩にはいつまで立っても名前がつくことがなく、最後まで名前がつきませんでした。
夏目漱石「吾輩は猫である」の起承転結
【起】吾輩は猫である のあらすじ①
この物語は、最初に吾輩という猫の視点から始まります。
その、吾輩が初めて人間を見た場所は、とても薄暗くて、しかもじめじめとした不快な場所で、助けを求めるかのように、「ニャー、ニャー」と泣いていたことだけは記憶があるのです。
そして、人間に拾われることになるのですが、最初に吾輩を拾ってくれた人物は、とある人物のところに住み込みで手伝いをしながら学問に励んでいた青年でした。
しかし、吾輩はそこでは幸せにはなれませんでした。
彼に拾われたことで、吾輩は両親や兄弟と離れ離れになった上、挙げ句の果てには、笹原に捨てられてしまったのです。
全く、人間は気まぐれでかわいそうなことをする動物です。
吾輩は、笹原を彷徨いながら、やっとの思いで笹原を抜け出すと、垣根がありました。
そこには、猫が1匹だけ通れるくらいの穴が空いていました。
吾輩は、恐る恐るその穴あら中に侵入してみると、そこは、立派なお屋敷の台所でした。
お腹が空いていた吾輩は、何か食べるものを欲しいという想いを込めて「にゃー」と泣いてみましたが、それを見つけた家政婦が、無常にも吾輩の首筋を、むんずと掴んで放り出されてしまったのです。
しかし、お腹が空いている吾輩は、放り出されても何度も台所へ向かったのです。
そんな様子を、この家の主人は見ていました。
そして、主人は、家政婦に対してこの猫を家に置いてやってくれと言い出すのです。
それがきっかけで、めでたく吾輩という猫は、この家の飼い猫になりました。
しかし、主人は優しいのですが、主人の妻や娘たちからは冷たくあしらわれ前途多難です。
でも、吾輩は、一生この家の猫として生活することを決意するのです。
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【承】吾輩は猫である のあらすじ②
やがて、吾輩もこの家での生活に慣れてきました。
ご主人のお家の裏には、ちょっと広々とした茶畑があり、この場所で日向ぼっこや、かけっこをするのが吾輩の楽しみになっていました。
しかし、ここにも、他の猫がいました。
猫は縄張り意識が強いもの。
ちょっと嫌な予感を吾輩は抱いていました。
その他の猫とは、車屋で飼われていた大きな黒猫でした。
比較的温厚な吾輩に比べると、その黒猫は、ネズミを捕まえることが大好きという、ちょっと野蛮なところがあり、吾輩はちょっと、この黒猫は苦手で、気が合いませんでした。
その他にも、知り合った猫はいます。
例えば、斜め向かいのおうちの軍人さんの家で飼われている美しい白猫さんや、隣の弁護士の家で飼われている三毛猫さんなどです。
この2匹とは、仲良くすることができて、毎日仲良く会話や遊びをしていました。
でも、吾輩はちょっとした恋心を抱いていました。
それは、二絃琴の師匠のところで飼われている猫でした。
この猫ちゃんは、この界隈では、ちょっとした美人猫として猫仲間の間では有名な、三毛子という猫ちゃんでした。
そんな、三毛子は、とても優しい猫で、教師の家に居候している吾輩のことを、尊敬の念を込めて「先生」と呼んでくれるのです。
これには、吾輩も胸を高まらせたものですが、この恋心は長くは続きませんでした。
三毛子は、些細な風邪をひき、拗らせてしまったことで、あっけなく亡くなってしまったのです。
とても落胆した吾輩でした。
【転】吾輩は猫である のあらすじ③
密かに想いを寄せていた、三毛子が亡くなってしまったことを受けて、吾輩は猫社会での交流をする気がなくなってしまいました。
そこで、注目し始めたのが人間観察です。
吾輩の飼い主さんの中学校の英語教師です。
とても仕事熱心な人間で、学校から帰ってくると、夜遅くまで書斎に篭りっきりでほとんど部屋の外に出てこないのです。
そんな様子を、吾輩はちょっと寂しい気持ちで観察していました。
でも、主人のところには、風変わりな来客がしばしば訪れます。
吾輩にとってはそれらの人の人間観察をするのがとても楽しみでした。
その中でも、主人の友人の美学者の迷亭は1番の変わり者で、人の家に勝手に上がり込んで、風呂に入り、散々無駄話をした挙句帰ってしまうことが頻繁に続いていたのです。
その他には、主人の門下生の一人である水島寒月という理学者は、首縊りの力学や蛙の目玉の研究などをして風変わりな論文ばかり書いている人物でした。
そして、その人の趣味は、ヴァイオリンで、趣味が高じて合奏会を開催するほどで、しかも、その席で実業家の金田氏の御令嬢に一目惚れしてしまったようなのです。
そして、多々良三平という人物は、少し前まで、この家で書生をしていた人物で、ある会社の鉱山部に就職が決まったのにもかかわらず、毎週の日曜日には、主人とところにお土産片手に遊びに来るのです。
これらの来客の中でも、多々良君は猫鍋が大好き値うことで、彼が来ると、自分が食べられてしまうのではないかと、身の危険を感じる吾輩だったのです。
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【結】吾輩は猫である のあらすじ④
吾輩にとっては、ご主人様のところに来る来客も、ほとんどお馴染みの人物になっていました。
そして、ある日、故郷に帰っていたという、寒月が主人の元に遊びにきます。
なんと、寒月は、鰹節を抱えてくるのです。
鰹節といえば、猫である吾輩には大好物。
どうやら、その鰹節は、吾輩のために持ってきたわけではなく、結婚祝いのために親戚から貰った名産品らしいのです。
そして、寒月のお嫁さんは、金だけの令嬢ではなく地元の女性でした。
金田家の令嬢が選んだのは、彼女の勤め先で評判が良い多々良君でした。
彼は、順風満帆の男で、ゆくゆくは、実業家の跡取りになるようなのです。
その場に来ていた多々良くんは、前祝いとして4本のビールを持ってきました。
それを飲んで、ご主人様たちは披露宴の打ち合わせの話で大盛り上がりなのです。
今は、もう秋。
日も短くなり夕刻にはすっかりと暗くなって、陽気な人たちも、次第に無口になり、ひとり・ふたりとこの家を去っていきます。
そんな様子を見た吾輩は、さみしい気持ちになってっしまい、客人たちが残したビールを憂さ晴らしに飲んでみようと思い始めました。
吾輩にとってはビールは思っていたよりも苦くて、美味しくなかったのですが、ちょっと経つと不思議な高揚感が湧いてくるのです。
すっかり酔っ払ってしまった吾輩は、庭先に置いてあった水が張られた甕の中でした。
吾輩は、もう自分は死ぬのだと感じて、心の中で念仏を唱え始めるのでした。
夏目漱石「吾輩は猫である」を読んだ読書感想
この作品は、とても昔に描かれた歴史のある文学作品で、自分は学生時代に読みましたが、文学作品としては、猫の視点で人間界が描かれている独自の視点が、堅苦しさがなくてとても面白かったです。
猫の気持ちがそのまま文章になるわけはないので、きっと、夏目漱石さんが猫の気持ちになって書いた小説だとは思いますが、夏目漱石さんって、猫の気持ちがよくわかるのではないかと感じました。
私も猫を飼っていますが、これは、相当猫を観察しないとわからないと思います。
改めて、夏目漱石さんの動物の観察力に脱帽してしまいました。
そして、猫視点ならではの、人間のちょっとおかしいところの分析などがとても面白いです。
人間が人間を観察するのではなく、猫視点だからこそできる人間分析が、こういう形を選んだ夏目漱石さんのセンスにとても感動しています。
自分としては、堅苦しく分析してしまいましたが、何も考えずに、ライトな気分で読める面白い小説に仕上がっていると思います。