死後の恋の主要登場人物
ワーシカ・コルニコフ(わーしかこるにこふ)
作中で〈私〉となっている語り手。モスクワ生まれの貴族の息子。24歳だが、40歳くらいに見える。
リヤトニコフ(りやとにこふ)
17、8歳に見える。モスクワ生まれで、貴族の血筋を引く者。
あなた(あなた)
作中、〈私〉が話をしている相手。日本の軍人。
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1分でわかる「死後の恋」のあらすじ
〈私〉ことロシア人のコルニホフは、ウラジオストックで、日本の軍人をつかまえ、ロマノフ王家の末路に関わる「死後の恋」の話をします。
〈私〉は白軍にいたとき、リヤトニコフという十七、八歳に見える少年兵と出会い、仲良くなりました。
リヤトニコフはロマノフ王家の血筋の者で、いざというときには結婚の費用にしなさいと、両親から三十個ほどの宝石を預けられていました。
その宝石が欲しくなった〈私〉は、リヤトニコフの部隊に加わって、連絡斥候の旅に出ます。
あるところで、敵の赤軍に攻撃され、〈私〉は脚を撃たれて倒れました。
味方は森に逃げ込みましたが、とたんに銃声が聞こえてきました。
しばらくして、立ち直った〈私〉が森に入ってみると、味方の兵士の無残な死体があったのでした。
リヤトニコフの死体も……。
夢野久作「死後の恋」の起承転結
【起】死後の恋 のあらすじ①
ウラジオストックの繁華街で、日本の立派な軍人をつかまえた〈私〉は、ぜひ話を聞いてくれ、と頼みます。
それは、ロマノフ王家の末路に関わる「死後の恋」の物語です。
話を聞いて、信じてもらえたら、〈私〉の全財産をその軍人に差し上げると約束します。
これまでたくさんの人にこの話をしたのですが、だれひとりとして信じてくれなかったのです。
精神病患者とみなされ、軍隊からも追い出される始末です。
さて、〈私〉の名は、ワーシカ・コルニコフ。
四十くらいに見えますが、実はまだ二十四歳。
今年(大正七年=1918年)八月二十八日の夜から、翌朝にかけて体験したことのために、一夜にしてこんな白髪の老人になってしまったのです。
〈私〉は貴族の家の出で、モスクワの大学を卒業しています。
しかし、ペトログラードの革命で、家族も財産も失い、セミヨノフ将軍側の軍(白軍)に入隊しました。
今年の八月に部隊の編成が変わり、リヤトニコフという十七、八歳に見える少年兵といっしょになりました。
彼もまた貴族の血をひいており、〈私〉たちは非常に仲良くなりました。
それからまもなく、ニコリスクへ向けて、連絡斥候の一隊を出すことになりました。
リヤトニコフはその一隊に含まれています。
出発の前夜、リヤトニコフがひどく落ち込んでいる様子です。
彼は〈私〉を外に連れ出すと、革のサックから、二、三十粒の、みごとな宝石を見せてくれました。
ダイヤ、ルビー、サファイヤ、トパーズなどの一級品ばかりです。
先祖代々、宝石好きの家系に育った〈私〉は、目がくらみそうです。
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【承】死後の恋 のあらすじ②
リヤトニコフは〈私〉に、宝石と自分のことについて説明してくれました。
——この宝石は、ペトログラードの革命が起きる三か月前、去年(1917年)のクリスマスに、両親からもらったもの。
革命軍にとっては、宝石など石ころと同じらしいけれど、ぼく(リヤトニコフ)にとっては、両親の大切な形見となりました。
両親は、近く革命が起きることを予想していました。
そこで、家の血統を守るために、ぼくに宝石を預け、家から出すことにしたのです。
両親は言いました。
「身分を隠してひそみ、貴族の時代が復活するのを待ちなさい。
しかしそんな時代がこないようだったら、この宝石を結婚費用として、家の血筋を守りなさい。
いずれまた時代が変わったら、残った宝石で身分をあかし、家を再興しなさい」と。
ぼくは貧乏な大学生に身を変え、モスクワへ来て、音楽の教師になりました。
しかし、モスクワはもう音楽どころではありません。
ぼくはたちまち革命軍(赤軍)につかまり、無理やり入隊させられたのです。
隙を見て逃げ出したぼくは、白軍へ逃げ込み、いままでじっと身をひそめていました。
そしたら、昨夜のこと、仲間たちの噂話に聞き耳を立てていると、ぼくの両親と兄弟たちが、革命軍に銃殺された、というのです。
——そう言って、リヤトニコフは泣きました。
〈私〉は、まさかリヤトニコフがそんなに高貴な人とは思ってもいなかったのですが、一方で、ロマノフ王家には、十七、八歳の皇太子はいないことも思い出します。
そこから、リヤトニコフは王家につながる高貴な家の者なのだろう、と解釈することにしました。
それにしても、なぜ、リヤトニコフは〈私〉に宝石を見せ、自分の事情を告白したのか、不覚にも〈私〉はわからなかったのです。
〈私〉は当たり障りのない慰めの言葉を彼に投げかけるばかりでした。
リヤトニコフの話を聞いて、宝石がほしくてたまらなくなった〈私〉は、彼の所属する一隊に加わり、いっしょに連絡斥候に行くことにしました。
もしや、リヤトニコフが戦死したら、とゲスなことを考えていたのです。
【転】死後の恋 のあらすじ③
〈私〉たちは、ニコリスクへ向かって旅立ちました。
鉄道で行けば半日の距離ですが、途中に赤軍がいるので、東へ大きく迂回して進みます。
出発して十四日め、赤軍が占領しているクライフスキーから二里ほど離れた湿地まで来ました。
近くに森が見えます。
目的地のニコリスクはもうじきです。
一隊はすっかり安心しきりました。
そのとき、突然機関銃の音がして、銃弾が飛んできました。
〈私〉は左の腿を撃たれて倒れました。
急いで応急手当をして仲間を探すと、一隊は〈私〉が負傷したことには気づかず、近くの森へ逃げていきます。
機関銃の音がやみ、一行は無事に森へ逃げ込みました。
リヤトニコフは最後尾にいて、〈私〉を探しているのか、ふり返りながらも、森へ逃げ込みました。
それから数秒後、森のなかから、機関銃が乱射される激烈な音が響いてきました。
一分ほどそれが続いた後、銃声はやみ、無音の世界となりました。
恐怖にふるえながら森を見ているうちに、〈私〉はいつしか失神して、草のなかに倒れこんでいたのでした。
しばらくして意識を取りもどした〈私〉は、傷の痛みを我慢し、森へ近づいていきました。
宝石ほしさではありません。
その時点では、宝石のことなど忘れていたのです。
なぜか、自分の行くところはあの森しかない、という気持ちでした。
怪我をした左足をひきずりながら歩いていくと、二発の軽い銃声らしき音が森から聞こえてきました。
それは本当に銃声だったのか、考えているうちにわからなくなり、〈私〉はそろりそろりと這って森へ近づいていきます。
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【結】死後の恋 のあらすじ④
〈私〉が森の入り口に立った時には、日は暮れ、空に星が見えていました。
森のなかは静かです。
〈私〉は怖くていったんは逃げ出したくなったものの、リヤトニコフの宝石のことを思い出して、とどまりました。
〈私〉は赤軍の行動を推理しました。
赤軍は、森で〈私〉たち一隊を待ち伏せし、横から攻撃することで、一隊を森に誘いこんだのでしょう。
そうして森で待ちかまえていて、一隊を皆殺しにしたのでしょう。
もし全員が死んだとなれば、いよいよリヤトニコフの宝石を手に入れるチャンスではありませんか。
〈私〉は傷の痛みと疲労でへとへとになりながら、森のなかを探し回りました。
なにかの建物跡に出ました。
誰もいません。
ライターをつけて、見上げてみました。
〈私〉は腰を抜かしました。
仲間の兵士たちが、皆、丸裸で木にくくりつけられ、拷問を加えられて、死んでいるのでした。
目をえぐられたり、歯を砕かれたり、口を引き裂かれたり、鼻を切り開かれたり、と無残な姿です。
震えるうちに、〈私〉はひとつの死体に気がつきました。
リヤトニコフの死体です。
裸にされたリヤトニコフが実は女であったことは、すぐにわかりました。
彼女はレイプされたあげく、宝石を猟銃の空砲にこめて、下腹部に撃ち込まれていました。
垂れ下がった臓器の表面には、血まみれのダイヤやルビーなどが粘りついていたのでした……。
〈私〉が日本の軍人に語る話は以上で終わりです。
リヤトニコフは〈私〉に恋をしており、死んだあとも、恋しい〈私〉を、あの森へと呼び寄せたのでしょう。
〈私〉は話を聞いてもらったことで、約束通り、血まみれの宝石を、日本の軍人に渡そうとしました。
しかしとりあってくれません。
〈私〉は嘆き、アナスタシア、と恋しい女性の名前を呼ぶのでした。
夢野久作「死後の恋」を読んだ読書感想
ひとことで言ってしまえば、悲恋ものの小説ということになりますが、そこに注ぎこまれている独特の雰囲気が、なにやら恐ろしくも妖しい物語に見せてくれています。
のっけから、頭のおかしそうな〈私〉が登場し、「死後の恋」などと、わけのわからないことをしゃべる。
このあたりからもう読者をぐいぐいと物語のなかへ引きこんでいきます。
仲良くなった少年兵、斥候の行軍、敵の襲撃……と、息つく暇もなく読み進んでいくと、あわれな結末にぶち当たるのでした。
なんの先入観も、予備知識もなく読んでも、ある程度はおもしろい作品です。
しかし、おそらく発表当時は世間に知れ渡っていたであろう事件の知識があると、おもしろさがより増します。
すなわち、1918年7月に、モスクワ郊外で、ロマノフ王朝の一家が銃殺された、という事件です。
このとき、ひとり十七歳のアナスタシア皇女だけは生き延びたのではないか、と噂されていました。
「死後の恋」は、生き延びたアナスタシアが、リヤトニコフという偽名を名のって、白軍に逃げ込んだ、という設定で描かれています。
それを知ると、なおいっそう彼女があわれに思えてきます。
というのも、彼女は十七歳の少女ですが、王室にいたわけで、好きな男性へのアプローチの仕方など、よくわからなかったのではないでしょうか。
だから、好きになったコルニコフに、せいぜいが、家宝の宝石を見せて気を引くしかできなかったのだと思います。
なんて不器用で、なんて切ないのでしょう。
宝石がほしいばかりのゲスなコルニコフなどはどうでもよく、かわいそうなリヤトニコフのことが、いつまでも胸のなかに尾を引く作品でした。