著者:谷崎潤一郎 1911年12月に籾山書店から出版
刺青の主要登場人物
清吉(せいきち)
若い腕利きの刺青師、性格はサディスト。宿願として美女に自分の全てを込めた刺青を刺したいと思っている。
娘(むすめ)
足の美しさから清吉が望む美女だと見初められた娘、清吉の手で背中に立派な蜘蛛の刺青を施される。
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1分でわかる「刺青」のあらすじ
腕利きの刺青師である清吉は、自分の理想の美女の肌に魂を込めた刺青を彫る事を夢見ていた。
そんなある日通りかかった料理屋の前で籠の影から理想の娘の足を見た。
その娘が清吉の所にお使いにやって来たので、彼は「この絵にはお前の心が映って居る」と男の死骸に魅せられる若い女性の絵を見せ、怯える娘を麻酔で眠らせるとその背に蜘蛛の刺青を施す。
目覚めた娘は魔性の女に変身し、朝日を受けその刺青は燦爛としていた。
谷崎潤一郎「刺青」の起承転結
【起】刺青 のあらすじ①
それはまだ人々が「愚か」という徳を持っていて、世の中が今のように軋んでいなかった時代のお話です。
その時代は美しいものが強者であり、美しさを競って人々はその肌に刺青を彫る事をステータスとしていました。
特に浮世絵師崩れの腕を生かして、若いながらも腕利きの刺青師として名を馳せていた清吉という男がいました。
彼は生粋のサディストであり大の男が針の痛さに呻けば呻くほどその心の中に愉悦が込み上げて、半死半生の姿でぐったりとしている姿を見れば「さぞお痛みでがしょうな」と笑い。
我慢強い男が眉ひとつ動かさずにしている姿を見れば「今にそろそろ疼き出してどうにもたまらないようになろうから」と煽って笑うような人でした。
しかしそんな清吉にもひとつ望みがあった。
それは美女の肌に己の魂を刻み込む事でしたが、ただ見た目が美しいだけではなく、その気性であったり容姿であったりと様々な注文があり、色街で名を轟かせたと噂の美女を見ても、全く満足出来ないでいました。
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【承】刺青 のあらすじ②
宿願を抱えたまま3年、4年と経ったとある夏のゆうべ。
清吉は虚しい憧れを抱きながら深川の料理屋平清の前を通りかかった時、彼はふと門口に待っている駕籠のすだれの影から真っ白い女の素足がこぼれているのに気が付きました。
清吉の目にはその娘の足は人の顔と同じように複雑な表情を持って映っていました。
その女の足は彼にとっては至宝も当然でした。
親指から小指にかけての形であったり、うす紅の爪の色であったり、踵の丸みや皮膚の潤沢さなどを見て、彼はこの足の持ち主は、いずれ男の血肉で肥え太りその骸を踏みつける足だと確信します。
そしてその足の女こそ、清吉が長年探し求めてきた女の中の女であると思いました。
清吉は踊る胸を抑えて、駕籠の中に居る女の顔を一目見ようと駕籠を追いかけましたが、2、3町行くとその影は見えなくなっていました。
清吉の憧れは激しい恋のように変わっていきその年も暮れ、5年目になる春も半ば終わりごろに転機が訪れます。
【転】刺青 のあらすじ③
深川佐賀町の仮住まいで、房楊枝をくわえながらオモトが植わっている鉢を眺めていると、庭の裏木戸から見慣れない娘が清吉を訪ねて来ました。
それは清吉の馴染みの辰巳の芸妓から寄越されたお使いの娘でした。
彼女は清吉に鬱金色の風呂敷に入っている羽織の裏地に絵を描いてもらってくるようにとお願いされていました。
風呂敷には羽織の他に手紙も入っており、娘は羽織の持ち主の妹分であり、近々お座敷に出る予定なので娘共々よろしく。
と書いてありました。
清吉は娘の顔をしげしげと見つめて、16か17ぐらいの娘にしては、何十人もの男の魂を弄んだ年増のように整っていました。
清吉は娘に去年の6月頃に料理屋の平清へ行ったことがあるかと聞いてみると、娘は確かにその頃は父親も生きていたので平清に行ったことがあります。
と奇妙な質問に笑って答えました。
清吉はこの娘こそ5年間恋焦がれていたあの足の持ち主だと分かると、見せたいものがあると言い2本の巻物を取り出してこの絵にはお前の心が映って居ると言って見せました。
1つは処刑されている男を眺める暴君の寵姫である末喜の絵、もう1つは男たちの死骸に魅せられる女を描いた肥料と題するものでした。
娘はその恐ろしさに怯え清吉に家に返してくださいと懇願しますが、彼の手にあった麻酔によって眠らされてしまいました。
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【結】刺青 のあらすじ④
清吉は暫くの間、水面から金色の波紋を浮かべて反射する光の中で眠る娘の顔をうっとりと見つめていました。
やがて彼は道具を手に取ると、娘の背中に針を刺していきました。
清吉の魂は墨汁の中に溶けて娘の肌に滲んでいきます。
昼を過ぎて暮れの時間に差し掛かっても清吉の手は止まりませんでしたし、娘の眠りも破られませんでした。
一度娘の遅い帰りを案じた迎えに来た箱屋が来ましたが、清吉は娘はもう早くに帰っていきましたよ、と言い追っ払いました。
月が傾く時刻になっても、清吉の刺青は半分も出来上がっていませんでしたが、その針の跡は次第に女郎蜘蛛の姿になっていき、空が白み始めた頃には八本の脚を伸ばして背中一面に蟠っていました。
そして家々の茅葺き屋根が朝日できらめく頃、清吉はやっと絵筆を置いて娘の背に描かれた蜘蛛の形を眺めていました。
それは彼の命の全てであり、やり終えた清吉の心は虚ろでした。
暫くして娘は目覚めます、そして色上げのために湯殿に浸かって痛みに苦しむ娘は、男にこんな惨めな姿は見られるのは悔しいからと、いたわる清吉を二階の部屋へ追いやってしまいます。
清吉は二階で大人しく娘を待っていると、すっかり身支度を整えた女になった娘が上がってきて、晴れやかな顔で清吉に、お前さんは真っ先に私の肥料になったんだねえ、と言いました。
清吉は帰る前にもう一度背中の刺青を見せてくれと言います、女は黙って頷いて肌を脱ぎました。
朝日が刺青の面にさして、女の背中は燦爛としていました。
谷崎潤一郎「刺青」を読んだ読書感想
刺青は谷崎潤一郎自身が処女作だとしている短編で、のちの痴人の愛や瘋癲老人日記に続くようなフェチズムを大いに練りこんだ傑作です。
登場人物はたった2人ですが、サディストで腕利きの刺青師である清吉と、内に残酷な女性性を秘めた美しい娘との間で行われる濃厚な一日は忘れたくとも忘れられないでしょう。
特に娘に麻酔を嗅がせて無理やり刺青を施して、己の嗜虐性を満たしていた清吉が、刺青が完成した後には魔性の女となった娘と立場が一気に逆転し、男には刺青を施して苦しみ喘ぐ姿を見て笑うだけだったのに、娘をいたわろうとして逆に追い出されてしまう場面や、ラストシーンでまるで懇願するかのように背中の刺青を見せてくれというセリフなどから、サディストと思っていた清吉の内面には、マゾヒストじみた被虐癖があったのかもしれないと予想できる瞬間は、読み手にどこか薄ら暗い陶酔を与えてくれます。
万人にこれだとおすすめできる作品ではありませんが、清吉のような、もしくは娘のような内面を持っている人は是非とも一度読んでみてほしいと胸を張って言える作品です。