著者:村上春樹 1980年6月に講談社から出版
1973年のピンボールの主要登場人物
僕(ぼく)
本作の主人公。現在は翻訳の仕事をしながら双子と同棲している。
鼠(ねずみ)
大学時代に僕とバーに通っていた。
ジェイ(じぇい)
僕と鼠が通っていたバーのバーテン。
直子(なおこ)
大学時代に僕が付き合っていた女性。
1分でわかる「1973年のピンボール」のあらすじ
僕と鼠がジェイズバーにいた1970年。
物語はそれから3年後、1973年に始まります。
僕は遠く離れた街で仕事をしながら、双子の女の子たちと同棲していました。
そしてあるとき、ふとバーにあったピンボール「3フリッパーのスペースシップ」を思い出し、恋焦がれます。
一方で鼠はまだジェイズ・バーに入り浸り、現実感のない日々を送っていました。
しかし知り合った女性と逢瀬をくり返すうち、街を出る決意を固めていくのでした。
『風の歌を聴け』から始まり『羊をめぐる冒険』で終わる、いわゆる「鼠三部作」の第2作目です。
村上春樹「1973年のピンボール」の起承転結
【起】1973年のピンボール のあらすじ①
僕は人の話を聞くのが病的に好きでした。
中でも土星生まれ・金星生まれだと自称した人たちの話は、とても印象的なものでした。
土星に生まれた人は自分の故郷の過酷さを語り、それゆえに革命的な思想を持って反政府活動に参加していました。
金星生まれの人は、寿命の短さゆえの愛の形を語ります。
1969年の春、僕は20歳の大学生でした。
そして亡くなってしまった直子が話してくれたことを、僕は一言たりとも忘れません。
直子は自分の故郷を、とても小さな街だったと語りました。
「駅のロータリーを犬が散歩するような街」だと、直子は言います。
1973年5月、僕はどうしても駅を縦断する犬を見たい衝動に駆られました。
正装して出かけ、直子の生い立ちに思いを馳せながら、直子の故郷の駅で犬を待ちます。
しかし1時間ほど待っても現れません。
そのとき駅のわきの池で釣りをしていた人の犬が、僕に近づいてきました。
僕がチューインガムを放り投げると、犬はそれを追ってプラットフォームを駆けて行きました。
僕はその光景を見て、満足感を覚えます。
帰宅した僕を、双子の女の子たちが出迎えました。
僕と女の子たちは同棲しています。
ある日ウィスキーを飲んで眠った僕は、目覚めると両脇に双子がいることに気付きました。
双子は自分たちの名前を教えず、好きに呼ぶようにといいます。
直子の故郷から帰った僕は、双子に慰められながら眠りについたのでした。
ここから僕と鼠の物語が始まります。
1973年9月、僕と鼠は700キロ離れた街にそれぞれ暮らしていました。
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【承】1973年のピンボール のあらすじ②
僕は友人と一緒に、翻訳事務所を設立して生計を立てていました。
所属しているのは僕と友人のほかに、お手伝いの女の子が1人だけです。
それでも仕事は次々に舞い込み、会社は少しずつ成長していきました。
僕はアパートの一室で、双子の女の子たちを養っていました。
双子は見た目がそっくりでしたが、僕がそれを伝えると「全然違う」と怒るのです。
2人はスーパーでもらったという、「208」と「209」と数字がプリントされたTシャツをよく着ていました。
しかし服を入れ替えてしまうと、やはり僕には見分けが付かないのです。
ある日曜日の朝、僕の部屋を電話回線の工事業者が訪ねてきます。
配電盤の取り替えをしたいと室内に入った業者は、双子に面食らいながらも、配電盤について説明しました。
配電盤とは親犬のようなもの、電話機は仔犬のようなもの。
死にそうになっている親犬を取り替えに来たのだと伝えます。
双子はそれを気に入り、業者が忘れて行った古い配電盤で1日中遊びます。
しかし配電盤の具合が悪く、弱っていっているのだと僕に訴えました。
その頃鼠は、ジェイズ・バーで読書をしながら、バーテンのジェイと会話をしていました。
3年前に大学を辞めてから、鼠は時間の流れが不均衡になっていくのを感じています。
ある日鼠は、新聞の不要物売買コーナーに電動タイプライターが出ているのを発見しました。
タイプライターの売主の女は、美大を出て設計事務所で働いていました。
鼠と女は週に1度、土曜日の夜に会って関係を持つようになります。
女の家は海岸近くの突堤にありました。
鼠は時折、灯台から女の家を眺めては、閉じられた窓を見て哀しい気持ちになったのです。
【転】1973年のピンボール のあらすじ③
僕は双子と暮らすうち、少しずつ体調を崩していきました。
風邪を引き、時間の流れが遅くなっていくのを感じます。
ある日僕は、双子に貯水池まで車を出すよう頼まれます。
死んでしまった配電盤の葬式をするためでした。
厳粛な雰囲気で貯水池に着くと、僕は配電盤を投げ込み、祈りの言葉を捧げました。
一方で鼠は、ジェイズ・バーでビールを飲んでいました。
ジェイに自分が生きてきた25年の歳月について話し、内心では「引退の潮時」かと考えていたのです。
そして眠れなくなると、灯台へ行って女の住むアパートの部屋の窓を眺める習慣を続けていました。
秋の日曜日の夕刻、僕の心は突然とあるピンボール台に捉えられます。
3フリッパーの「スペースシップ」は、1970年に鼠と入り浸っていたジェイズ・バーに設置されていた機種でした。
当時はまるで興味がなく、鼠だけが打ち込んでいました。
鼠は最高スコア92500点を記録し舞い上がりましたが、ピンボール台の調整士が何気なく披露したテクニックを見て意気消沈します。
しかし1970年の冬、僕はピンボールの呪術に取り憑かれたのです。
ゲーム・センターで発見したのは、ジェイズ・バーにあったのと同じ3フリッパーの「スペースシップ」でした。
スコアは15万点を超え、プレイすると人だかりができるようになりました。
プレイしていると、僕はまるで3フリッパーの「スペースシップ」が語りかけてくるように感じたのです。
「あなたのせいじゃない」と。
しかし翌年の2月、ピンボール台はゲーム・センターと共に姿を消したのでした。
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【結】1973年のピンボール のあらすじ④
1973年の秋。
3フリッパーの「スペースシップ」に呼ばれるように、僕はあちこちのゲーム・センターを探し歩きました。
そしてとあるゲームセンターのオーナーから、ピンボール台のマニアを紹介されます。
僕はマニアと直接会い、該当機種が全国に3台あったことを伝えられました。
1つはジェイズ・バーで処分され、1つは火災で焼失していました。
残る1つはゲーム・センターで僕がプレイしていたものでしたが、処分されたと推測されます。
その頃、鼠は苦しんでいました。
街を去ることを、どうしてもジェイに伝えることができなかったのです。
そして女に強く焦がれ、うまく眠ることができなくなっていました。
一方、僕はピンボール台のマニアから再び連絡を受けていました。
3フリッパーの「スペースシップ」はスクラップにされる直前、コレクターに回収されていたことが判明したのです。
マニアに案内され、東京郊外にある人気のない倉庫へと、僕は1人で足を運びます。
そして50台のピンボール台の中から、3フリッパーの「スペースシップ」を探し出しました。
僕はプレイすることなく、3フリッパーの「スペースシップ」とただ語り合いました。
そして振り返ることなく、その場を後にします。
もうピンボール台が呼ぶことはありませんでした。
1973年11月のある静かな日曜日、双子たちは僕のもとを離れます。
行き先を訊ねる僕に、双子は「もとの場所に戻るだけ」だと告げました。
一方で鼠は、もう女と会わないことを決めます。
灯台から女のアパートを眺めることもやめました。
最後にジェイに街を出ていくことを告げ、眠りにつくのでした。
村上春樹「1973年のピンボール」を読んだ読書感想
僕と鼠は社会に居場所がないと感じている、いわば似た者同士でした。
しかしその運命は大きく分岐していき、「鼠三部作」の最終作『羊をめぐる冒険』へとつながります。
本作で、僕と鼠の人生は決定的に違うものとなります。
僕は住まいを持ち、仕事もいたって順調といえるでしょう。
一方で鼠はジェイズバーに閉じこもり、現実逃避から抜け出すことができません。
最終的に僕は去っていく双子を見送り、日常へと戻っていきます。
これまでと同じ、通り過ぎていく者を見守る役に徹したのです。
一方で、鼠は逃げるように街から姿を消します。
僕が「物語の出口」を見つけたのに対し、鼠はますます深淵へとはまっていくようにも思えます。
違和感を感じながらも、「やれやれ」と言いながら社会に適応していく僕のスタンス。
これは村上春樹作品に共感する、ほとんどの人にとって経験があるのではないでしょうか。
一方で、現実や社会を最後まで受け入れることができない鼠の生き方。
これも一種の憧れであり、だからこそ読者は鼠にシンパシーを覚えるのでしょう。