地獄風景の主要登場人物
木島(きじま)
主人公。数々の難事件を解決してきた刑事。顔からその人の心を読み取る。
喜多川治良右衛門(きたがわじろえもん)
旧家のひとり息子としてかなりの資産を所有する。何かに熱中すると止まらなくなる。
諸口ちま子(もろぐちちまこ)
治良右衛門と公私に渡って付き合いがある。詩や絵を発表していて建築学の知識もある。
湯本譲次(ゆもとじょうじ)
治良右衛門の友人。猟奇的な性格で前科者。
餌差宗助(えさしそうすけ)
治良右衛門の忠実な右腕。生まれつき体は小さいが知恵があり要職を任されている。
1分でわかる「地獄風景」のあらすじ
広大な私設遊園で発生した連続殺人の犯人を逮捕するために、刑事の木島は泊まり込みで捜査を開始します。
犯人は過去に誘拐の罪を犯していて悪いうわさが絶えない湯本譲次でも、異形の切れ者・餌差宗助でもありません。
ばくだいな資産を自らの理想郷のために注ぎ込んでいるうちに、一線をこえて無差別殺人に手を染めてしまった喜多川治良右衛門です。
真相を見破った木島は治良右衛門の捕縛にあと一歩まで迫りますが、寸前で逃走を許してしまうのでした。
江戸川乱歩「地獄風景」の起承転結
【起】地獄風景 のあらすじ①
喜多川家はM県の南部に位置する旧幕府時代の城下町Yに代々と続いてきた家柄で、億万長者とも言われていました。
当主・喜多川治良右衛門の両親は数年ほど前に亡くなっていて、きょうだいもなく33歳ですが結婚もしていません。
口うるさい親類縁者や後見人もいない治良右衛門の周りには男女を問わず悪友が集まってきて、彼ら彼女たちにそそのかされた治良衛門はこの地に巨大な遊園地を造り始めます。
なげうった私財は100万円、総面積は10万平方メートル、完成までに費やした歳月は3年。
園主の名前を取って「ジロ娯楽園」と名付けられたこの遊園地に、足を踏み入れることを許されているのは招待状を受け取った者だけです。
開園当初こそ各界からの著名人が招かれてにぎわいを見せていましたが、今では治良右衛門とその仲間うちで楽しむための社交場のようなものでしょう。
大車輪のように半永久的に回転し続ける観覧車、縄ばしごを使って乗り降りする飛行船型の軽気球、浅草からそっくりそのまま移築した12階建ての魔天閣。
場内には治良右衛門の奔放な想像力を具現したさまざまな建造物が立ち並んでいましたが、中でも目をひくのが天然の樹木をびっしりと並べた迷路です。
青々と晴れ渡ったある日の初夏、この迷路の中に設置された休憩用のベンチで諸口ちま子という女性の遺体が発見されました。
彼女は詩人や画家として活躍する若手のアーティストでもあり、ジロ娯楽園の設計を携わった治良衛門の恋人でもあります。
この殺人事件の謎を解くために治良右衛門が呼び寄せたのが、Y市でも名探偵と名高い木島刑事です。
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【承】地獄風景 のあらすじ②
裁判所と地元の警察署からそれぞれの係官がやって来て現場検証が行われている中で、木島はジロ娯楽園の中央にある立派な洋風食堂の食卓についていました。
治良右衛門とゲストたちは朝から晩まで自由行動で過ごしていましたが、晩の食事だけはこの食堂で一緒に取る決まりになっています。
長いテーブルの端っこの席でせっせとナイフとフォークを動かしている木島は、一見すると豪華なディナーに夢中になっているように見えるでしょう。
ぬかりなく同席者のしぐさや表情の微妙な変化に目を光らせているために、ささいな違和感から重要な手掛かりまで逃しません。
外部から何者かが潜入した形跡はなかったこと、ちま子の背中には短剣が突き刺さっていたこと、外国製の非常に珍しいものだったこと。
この短剣は湯本譲次という治良右衛門と特に親しい青年のコレクションで、生身の女性を縛り上げて的にして遊ぶための悪趣味な小道具です。
さらにはアトラクションの気球に乗っていた女性客が転落死してしまい、縄ばしごの片方が切断されたことが原因でした。
綱の切り口を調べてみると短剣とピッタリと一致したために、湯本は検事から厳しい取り調べを受けることになりましたが犯行を否認しています。
これらの殺人が起こった時間に治良右衛門を始め招待客は観覧車の箱の中にいましたが、ただひとりアリバイがないのは餌差宗助です。
治良右衛門の信頼が厚い餌差は園で総監督を務めていて、正真正銘の成人男性ですが胴体は14〜15歳くらいの子どもの大きさしかありません。
【転】地獄風景 のあらすじ③
朝早く起きて園内の見回りをしているはずの餌差の姿がないために、木島は警官隊と手分けをして隅から隅まで探し回りました。
コンクリートで固められた長いトンネルを抜けると、各種の珍魚や異様な海藻ばかりを放した地底の水族館へとたどり着きます。
全面がガラス張りになった水槽の中に餌差が浮いているのを発見したために、慌てて引き上げますがすでに息はありません。
クジラの体内をリアルに再現した模型の中に落ちていたのは、わざと乱暴に書いて筆跡をごまかした1枚の紙切れです。
「ジロ楽園カーニバル祭り」の開幕、決行日は数日後の7月14日、当夜にはこれまで生き延びてきメンバーも皆殺し。
餌差の身の潔白はその壮絶な死にざまによって証明されて、湯本もいまだに留置場で身柄を拘束されているために犯行予告状を送ることは不可能でしょう。
木島は14日の催し物を中止にするように再三に渡って忠告していましたが、この日のために数億円の資金を用意してきた治良右衛門には聞き入れてもらえません。
治良右衛門は単なる地方の大金持ちではなく、警察上層部とのコネがあり知り合いには有力な政治家も多いです。
平刑事の木島や田舎の署長が太刀打ちできる相手ではなく押しきられる形になりましたが、念のために数10人の屈強な警備員を派遣することだけは認められます。
日本全国から招かれた物見高い紳士や有閑マダムたちは前日に近隣のY市にあるホテルに1泊して、定刻の正午にはゴンドラでアーチまで運ばれてきました。
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【結】地獄風景 のあらすじ④
証拠品として押収していた例の短剣を念入りになで回していた木島は、つばがなく柄から刃先までがまったく同じ太さであることに気が付きました。
柄の部分にはネジのような模様が彫刻されているために、銃口にはめ込めば銃身のらせんにスッポリと収まります。
観覧車に身を潜めて弾丸の代わりに短剣を発射すればアリバイは立証され、諸口ちま子を射殺することも気球の命綱を切断することも十分に可能です。
絹糸のあらい網に金と銀の装飾をした踊り子、頭に南京玉のナイトキャップをかぶったピエロ、異国の民族衣装、最先端のデザインを取り入れた水着。
カーニバルに参加する客は入り口で専用のコスチュームに着替えさせられるために、誰が誰だか分かりません。
木島に至っては薄汚れた手拭いを鼻先で頬かむりにして、風呂敷を背負っているために泥棒のように見えるでしょう。
園内をパトロール中の同業者から職務質問を受けた上に追いかけ回される始末ですが、ふと目に止まったのは巡査の制服を着て帯剣を腰に差した30代くらいの男性です。
彼こそが警察官に変装して逃亡することをたくらんでいた治良右衛であり、一連の事件の黒幕でもあります。
古代ローマの暴君ネロに憧れていたこと、人殺しをするためにこの楽園を作ったこと、すべては美しい遊戯であること。
木島に詰め寄られた治良右衛門は花火の打ち上げに使用する予定だった火薬で園を爆破すると、気球に飛び乗って果てしない青空のかなたへと消えていくのでした。
江戸川乱歩「地獄風景」を読んだ読書感想
ご先祖様から受け継いだ貴重な財産を湯水のごとく投入して、自分だけの楽園を建ててしまう喜多川治良衛門に圧倒されました。
このありあまるほどのエネルギーと才能を、もう少し社会のためになるようなことに傾けなかったのかと悔やまれますね。
美しく芸術性に満ちあふれた諸口ちま子、ナイフのコレクターであり悪癖もある湯本譲次、見た目は子どもでも頭脳は大人な餌差宗助。
治良右衛門の脇を固めるキャラクターがこれまたひと癖もふた癖もあるために、誰も彼もが怪しく思えてしまいます。
敏腕刑事・木島のストイックな横顔は、この世の快楽をすべて結集したかのようなテーマパークの背景とはおよそ似合いません。
ミステリーの王道とも言えるアリバイ工作や、本格的な遠隔殺人のトリックもしっかりと盛り込まれていて楽しめるでしょう。
単純な勧善懲悪に終わることはなく、狂気に囚われた真犯人と不屈の闘志を秘めた刑事とのリターンマッチをにおわせるようなラストも心憎いです。