著者:太宰治 1939年 3月2日に 國民新聞から出版
黄金風景の主要登場人物
<私>(主人公 子どもの頃女中をいじめていた)
「私」はのろくさい女中のお慶をいつもいじめていた<巡査>(お慶の夫で「私」とは同郷)<お慶>「私」からいじめられていたもと女中
夫が巡査で「私」のもとお礼に来るという。ただ、「私」の悪口は言わない上品な奥さんになっていた。<娘> お慶の娘<女中の頃のお慶にそっくり>
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1分でわかる「黄金風景」のあらすじ
女中の何人かいるくらいの名家で育った「私」はいつも、のろまなお慶という女中をいじめていた。
お坊ちゃんと呼ばれていた「私」は、林檎をむくにも何を考えているのかわからないお慶に、厳しく声をかけていたのが日常だった。
お慶は子ども心にも疳にさわる女中で、絵本を切り抜かせるとかいらぬ頼み事をしたり、ついには蹴ったりして泣かせていた。
「一生覚えています」とお慶は泣き泣き言いますが、「私」はほとんど毎日天命のようにいびり続けていた。
ある日、落ちぶれた「私」のもとにお慶の夫のお巡りがやってくる。
お慶の知り合いだとわかると家族3人で今度挨拶に来ると告げて去る。
本当に家族で挨拶に来られたときには、「私」は面くらってしまい海辺など逃げまわっていた。
太宰治「黄金風景」の起承転結
【起】黄金風景 のあらすじ①
お慶はのろくさい女中である、だから子ども心にも妙に疳にさわっていた。
それは、「私」は子どもながらの性分というのか、のろうくさいことの嫌いな性格で自分自身でもあまり質のよい性格でないことはわっていた。
そのため、お慶はのろくさい女中だと「私」からいつもいじめられていた。
どこがのろくさいのかというと、それは林檎の皮を剥くときにも「私」には理解できないような表情と林檎を剥くスピードというのか、何度も手を休めるということからも「私」の疳にさわってしまったところがあったからだ。
それで、そのたび「私」は何をしたのかというと、「厳しく声をかける」ということだった。
厳しく声をかけてやらないことには、林檎とナイフを持ったまま、いつまでもぼんやりと立っていたのが常だったから。
子どもの方からは、「のっそりと突っ立っている」という姿を台所でよく見かけていたのがはじまりだった。
そんなとき、「私」が投げつけた言葉は背筋も寒くなるような大人びた言葉だった。
「お慶、日は短いのだ」と。
それでも気がすまないときには、改めてお慶を呼びつけてみる。
何のためかというと、それは「私」の持っている兵隊の絵本を切り抜かせるためだった。
「私」のも持っている絵本には、兵隊が何百人となく載っていて、それは馬に乗っている者、旗を持っている者、銃を持っているものなどさまざまだった。
「私」は、お慶に何をさせたのかというと、その兵隊のひとりひとりを鋏で切り抜かせていた。
のろまなお慶は、不器用とも言えるのか、そのことをするのに昼飯も食べずにそのことに夕方までかかっていた。
そのときには、夕方までかかってやっと兵隊30人ばかりを切り抜いていた。
不器用なお慶は、その兵隊たちの切り抜き方をよほど尋常だともいえない形で切り抜いていたことがあった。
絵本の大将の髭を切り落としていたのだった。
それも片方だけ。
そして、銃を持っている兵隊の手の形といったら、それは熊の手のように恐ろしく大きく切り抜かれてあった。
絵本の切り抜きをさせたのはちょうど夏の頃で、お慶はいちいちどうだこうだと「私」に怒られながら切り抜いていた。
お慶はのろまなくせにとても汗かきで、切り抜かれた兵隊たちは、お慶の汗と涙でびょびょに濡れていた。
そのことでも子どもの「私」は癇癪を起してしまう。
とうとう、お慶の肩を蹴り怒りを爆発させてしまう。
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【承】黄金風景 のあらすじ②
お慶は「私」から無知で魯鈍な者と思われていた。
それだけで、「私」には堪忍できない存在だった。
ただ、家を追われた「私」には「負けた」としかいいような出来事があった。
一夜のうちに巷を彷徨うことになった「私」はその日その日の命を繋いでいた。
「文筆で自活ができる」とあてが付きはじめた頃から、体を壊した。
知り合いの情けでひと夏を千葉県の「泥の海」のすぐ近くに住まいを得た。
自炊をして保養できたはよかったが、毎夜毎夜、絞るほどの寝汗に襲われた。
毎日の楽しみといったら、毎朝の1合の牛乳を飲むことでそれを飲むときだけが妙に「生きている」と喜びを感じることができた。
そのころ、庭に夾竹桃の花が咲いていたが、「私」の頭脳にはメラメラと火が燃えているようにしか見えていなかった。
そんなふうに、「私」の頭の中もこれかといわんばかり疲れ果てていた。
あるとき、そんな「私」のもとにひとりの痩せて小柄な四十ほどの巡査がやってくる。
それは、戸籍調べの巡査だった。
「私」は無精髭のまま対応することになるが、巡査は無精髭の「私」と帳簿とをしげしげと見比べる。
「おや、あなたは○○のお坊ちゃんではございませんか?」と強い訛りの言葉でそう言った。
「私」は「そうです」とふてぶてしく答えるしかなく、相手が誰であるかと尋ねることはできた。
巡査は「やはりそうでしたか。」
と痩せた顔にも苦しいばかりの笑みをたたえながら「私は、20年前は故郷のKで馬車やをしていました。」
と故郷のKの名前を口にした。
「今は落ちぶれました」と「私」がにこりともせずにそういうと、巡査は笑いながら「とんでもない、小説を書いているとはなかなかの出世です。」
とさらに言う。
「私」は苦笑するしかなかったが、お慶の名前を出されたときにはすぐには事は飲みこめないでいた。
「おけい?」「お慶ですよ、あなたのお宅で女中をしていた。」
と言われたところで「私」は玄関にしゃがみこんでしまった。
「お慶」とは20年も前にいた自分の家の女中の名前で、しゃがみこんだまま、「私」のお慶にしたいじめのひとつ、ひとつを思い出すことになった。
ほとんど玄関にしゃがんだまま、座がないことに耐えてかねてはいたが、「幸福ですか?」と訊ねていた。
【転】黄金風景 のあらすじ③
「お慶がいつもあなたの噂をしている」と巡査が説明したと同時に「幸福か?」と尋ねる「私」だったけれど、その質問は罪人か被告のようで卑屈な笑いさえ浮かべていた。
「どうやら幸せそう」とほがらかに答える巡査でしたが、「今度、お慶を連れていちどお礼に伺いたい。」
と言います。
「いいえ、それには及ばない」と「私」は激しく拒否したつもりだったが、それと同時に言い知れない屈辱感を覚えていた。
さらに巡査は朗らかに、「長男がこちらの駅に勤めることになりまして」とさらに続けます。
「長男と次男、長女、次女、末が八才で小学校にあがりました。」
と子だくさんのようだった。
お慶も苦労したことについて、「私」の家で行儀見習いしたことについて語り、「おかげ様でどこか違います。」
と顔を赤くしながら「今度の公休の日にお礼にうかがいます。」
と急にまじめな顔になった。
それから3日後に、お慶の家族が「私」のところに訪れる。
「私」はお金のことでじっとして家にいる気分ではなかったので、海辺へ出て気分を晴らそうと玄関に出たみた。
すると、玄関を開けた途端、この前の巡査とお慶、そして赤い洋服の女の子が3人立っていた。
巡査とお慶は浴衣姿、女の子は赤い洋服姿でまるで絵のように美しく立っていた。
お慶は中年の品のよい奥さんになっていた。
ただ、赤い洋服を着た女の子は、若い頃のお慶にそっくりだった。
「私」は突拍子もないような大きな声で「今日、来たのですか、私はこれから用事で出かけます。」
とこれまでにないような怒声を出して来訪を断った。
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【結】黄金風景 のあらすじ④
「私」の性格というのもやはりこの年齢になっても、うすのろに見える人間はやはり嫌ってしまうのだろう。
訪問してきたお慶の家族の女の子はその「うすのろ」の印象をぬぐえなかった。
お慶自身は品のよい奥さんになってはいたけれど、玄関に出た「私」は面くらってしまい、逃げるように海の方へと駆け出す。
まるで、逃げるかのように「私」は海辺の雑草を薙ぎ払いながら、一歩一歩とステッキを使いながら地団駄を踏むような歩き方で海岸沿いを町の方へと歩いていった。
町へはただ意味もなく、活動小屋の、絵看板を見上げたり、呉服屋の飾りまどを見つめたりしていた。
心のどこかに「負けた」「負けた」と囁く声が聞こえてきたが、「これは違う」と激しく体をゆすってみる。
その後、30分ほどして家に戻ってきてみるが、なんとそこには海辺でのどかに遊ぶ、お慶の家族3人の声が聞こえた。
海の中に石を投げては、笑い転げている感じだった。
これはまさに「平和の図」と言えよう。
その声が「私」のいる場所まで聞こえてきて、巡査の石を投げる声も聞こえてきた。
「なかなか」と巡査は力を込めて石を投げた。
巡査が言うには「頭のよさそうな方ではないか。」
「あの方は今に偉くなる」とほめたたえていた。
お慶も誇らしげに「そうですとも、そうですとも」と「私」のことを話していた。
「あの方は、小さいときからひとりだけ変わっていて、目下のものにはとても親切に目をかけて下さった。」
「負けた」と「私」は立ったまま泣けていた。
今までの険しい興奮は涙とともに気持ちよく溶け去っていくような気がした。
「負けた」とはいいことで、お慶の家族3人の勝利は「私」にも光をくれるだろう。
太宰治「黄金風景」を読んだ読書感想
全体の感想について子どもの頃の「私」はよく女中をいじめていました。
それも天命のようにと感じていたといいます。
お慶のどこかのろい性格は「私」にとっては無神経な人間に見えたのかはしれません。
子どもの頃に蹴ったり泣かせたりしていた女中が、奥さんになり、夫は巡査で今度、挨拶に来るといます。
「私」はどれくらい面くらったのでしょうか?最初の偶然のようなお慶の夫との出会いから、3日で挨拶に訪れたお慶家族。
それは以外にも「長男がこちらの駅に勤めるようになったから。」
ということからでした。
家を出てから、無精髭を生やしてお金を工面する生活とと体を壊しての作家生活はどれくらい厳しかったのでしょうか?それでも、巡査が「作家になるとは、偉い出世です。」
といい放ちます。
お慶たち家族が玄関に浴衣姿や赤い洋服で現れたときは、どのような驚きだったのでしょうか?3人を一目見ると、「今日は出かける用事があるので。」
とお慶に声もかけないまま飛び出していきます。
その前に「私」はお金のこと心配しています。
これは、きっと彼らの訪問も含めて前もって用意でもしておかなければならないと感じていたのでしょうか?お慶たち3人から海辺へ逃げていくときには、「負けた」「負けた」と頭をよぎります。
ただ、町で時間を潰してきてから帰宅すると、家の前の浜辺で親子3人は海へ石投げをしながら遊んでいたのでした。
きっと、「私」の中ではそれを拭いさろうとしたのでしょうが「負け」を改めて感じたのが、その家の前の海での石投げだったのでしょう。
ただ、お慶の子どもに会ったときにはお慶の女中の頃の顔にそっくりな女の子に「うすのろそう」と思います。
そんなとき、「私」の育ちというよりものろくさい性格の嫌いな自分が沸々と甦ってきたのは事実なのかもしれません。
このお慶という女中とその家族に関しても少し思うところは多いです。
「私」の育った環境でお慶はどのような立場で本当は誰だったかと思うと、人間の不思議な関係性を考えられずにはおられません。