開化の殺人 芥川龍之介

芥川龍之介

芥川龍之介「開化の殺人」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

著者:芥川龍之介 1918年7月(雑誌掲載)に中央公論社「中央公論」から出版

開化の殺人の主要登場人物

北畠義一郎(きたばたけぎいちろう)
内科の専門医。遺書の上では「予」という一人称だが、本あらすじ上では「わたし」とした。

甘露寺明子(かんろじあきこ)
北畠義一郎の従妹で、彼より六歳年下。

本多(ほんだ)
子爵。北畠義一郎の少年時代の友人。

満村恭平(みつむらきょうへい)
第×銀行の頭取。

予(よ)
この小説の筆者が使う一人称。本あらすじ上では「筆者」とした。

1分でわかる「開化の殺人」のあらすじ

北畠義一郎医師は、少年時代に、従妹で年下の少女、甘露寺明子のことが好きでした。

しかし、気弱な性格のため、告白もできないでいるうちに、家業の医院を継ぐために、イギリスへ留学させられます。

三年たって帰国してみると、明子は銀行頭取、満村恭平の妻となっていました。

失恋の痛手からなんとか立ち直った北畠は、満村の人格が下劣で、明子がぞんざいに扱われていることを知って、殺意を抱きます。

さらに、少年時代の友人であった本多子爵が、元々は明子の許嫁であったことを知ります。

満村は金にあかせて明子を奪い取ったのでした。

北畠はいよいよ殺意をつのらせ、満村を殺害することにしたのでした。

芥川龍之介「開化の殺人」の起承転結

【起】開化の殺人 のあらすじ①

北畠医師の遺書

筆者は本多子爵と親しくしていただき、明治初期のエピソードをいろいろ聞かせていただいています。

そのなかで、もう亡くなられた北畠義一郎医師の遺書をお借りすることができました。

北畠先生は、当時内科の専門医として著名なかたでした。

そればかりではなく、歌舞伎の近代化運動についても一家言を持ち、自ら海外小説を翻案した戯曲を書いたほどでした。

残っている人物写真を見ると、西洋人をもしのぐほどの大柄な体格で、イギリス風のほおひげをたくわえた、容貌魁偉な紳士です。

その彼の遺書を、下記の通り掲示します。

理解の都合上、筆者のほうでいくらかの修正をほどこしたことをお断りしておきます。

****本多子爵閣下、ならびに奥さま。

わたしは死を前にして、この三年間胸のなかに閉じこめてきた、いまわしい秘密を告白します。

その内容がとんでもないからといって、わたしの気がふれたなどとは思わないでください。

わたしはきわめて正常なのです。

わたしは過去に殺人を犯しました。

しかも、そのあとも殺人を計画したのです。

こうしてそのことを思いだしながら書いていくのは、非常につらいことです。

神よ、わたしに力をお貸しください。

さて、わたしは少年のころから、従妹の甘露寺明子のことが好きでした。

(彼女はのちに本多子爵夫人となったわけですが。

)わたしが十六歳で、明子が十歳のとき、彼女の家の藤棚の下で遊んだことを、よく覚えています。

遊びで片足立ちしていた彼女の美しさといったらありませんでした。

わたしはその後も、ますます彼女のことが好きになっていきました。

しかし、わたしは臆病者で、とうとうひと言も愛を告白できなかったのです。

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【承】開化の殺人 のあらすじ②

殺意の芽生え

さて、二十一歳になったときです。

父から、家業である医者となるために、イギリス留学を命じられました。

親の命令には従わざるを得ず、明子のことが気になりながらも、わたしはイギリスへ渡りました。

そうして、帰国したら明子と結婚しよう、と夢想して、三年間の留学生活を送ったのでした。

ところがどうでしょう、帰国してみると、明子はすでに銀行頭取、満村恭平と結婚していたではありませんか。

わたしは自殺を考えました。

しかし、気が弱い性格の上に、留学中にキリスト教に帰依していたために、自殺することはできませんでした。

わたしはすぐさま再びイギリスに渡ろうと考え、父にたいそう叱られました。

そうして、結局は父の病院に勤めることになったのです。

当時、失恋の痛手を癒すことができたのは、懇意にしていたイギリス人宣教師、ヘンリイ・タウンゼント氏のおかげです。

彼の導きにより、わたしの明子への恋心は、妹を愛するような肉親愛へと昇華したのでした。

ところが、です。

明治十一年八月三日、両国橋の花火大会でのこと。

わたしは料亭で満村と同席することになったのです。

彼は大勢の芸者をはべらせていました。

こんな色キチガイに大事な妹、明子を預けているのかと思うと、わたしは憤怒をおさえることができません。

わたしは嫉妬ではなく、道徳的な怒りから、彼を殺そうと思いたったのです。

それ以来、彼の行状をさぐりました。

すると、出てくるわ出てくるわ、満村のひどい行いがわかってきます。

年端もいかぬ舞子を無理やり水あげして、処女を奪い、自殺に追いこんだこともわかりました。

しかも、この男は、妻である明子を、召使いのように扱っているのです。

こんな男を生かしておくわけにはいきません。

わたしの殺意は、具体的な殺害計画へと変わっていきました。

【転】開化の殺人 のあらすじ③

殺害実行

さて殺人の計画をたてたものの、わたしは躊躇して、なかなか実行に移すことができずにいました。

そんなときです。

子供のころの友人であった本多子爵と、たまたま料亭で会食する機会があったのです。

そこで聞いた話では、なんと彼は明子と許嫁だったというではありませんか。

しかも、相思相愛の仲だったのです。

その仲を、満村は金の力で引き裂いて、無理やり明子を奪っていったというのです。

その話を聞いたわたしは、いよいよ満村を殺す決心をしたのでした。

明治十二年六月十二日のことです。

ドイツの皇孫殿下が新富座で観劇をしました。

その同じ夜、満村もまた、新富座にいたのです。

同じく新富座にいたわたしは、満村の顔色が悪いことを告げ、持っていた丸薬を服用するように勧めました。

なにしろわたしは医者ですから、彼は疑うことなくわたしの薬を飲み、馬車で帰ったのです。

その馬車のなかで、彼は急死しました。

警察医が調べたところ、死因は脳出血によるものとされました。

わたしがもくろんだ通りとなりました。

わたしは大喜びで、その夜は、テーブルにバラの花を飾り、シャンペンを飲んで祝ったものです。

また、聞くところによると、明子は夫が死んだことで、初めて顔色がよくなったというのです。

わたしは嬉しさでいっぱいでした。

しかし、そんなわたしの喜びは数か月しか続きませんでした。

十月になると、子をなさなかったことで、明子は満村家を出されました。

わたしは本多子爵といっしょに、彼女に会いに行こうと思いました。

六年ぶりに明子に会える、と楽しみでした。

ところが、子爵のほうは、満村の死後、何度か彼女に会っている、というのです。

わたしはのけ者にされていたのです。

腹を立てたわたしは、患者がいるので、と言い訳して、彼の家を出ました。

たぶん、そのあと、本多子爵はひとりで明子に会いに行ったことでしょう。

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【結】開化の殺人 のあらすじ④

新たな殺意に打ち勝つために

十一月になって、わたしはあらためて本多子爵といっしょに明子に会いに行きました。

明子は年をとっていくらか容色が衰えたものの、わたしが覚えている少女の面影がありました。

わたしはなぜか苦しくなりました。

本多子爵が明子と結婚するつもりでいる、という話を聞いて、ますます苦しくなりました。

おかしい。

そのためにこそ、わたしは殺人を犯したはずなのに。

翌年の六月十二日、わたしはひとりで新富座へ観劇に行きました。

ちょうど一年前の今日、わたしは人を殺しました。

でも、それはなんのためだったのか? わたしはわからなくなりました。

その後、何度か危ないことがありました。

本多子爵の体調が悪いとき、介錯するわたしの手元には、満村を殺した丸薬があって、子爵を殺したい誘惑にかられるのでした。

本多子爵は明子と結婚しました。

わたしは自分自身に対してわけのわからない怒りにかられました。

やがて、わたしは悟ったのです。

本多子爵を殺さないためには、自分自身を殺すしかないのだ、と。

もし彼を殺すようなことになれば、わたしは人間でなくなってしまいます。

わたしは今夜、あの丸薬を使って自殺します。

本多子爵閣下、ならびに奥さま。

この遺書がお手元に届くころ、わたしはすでに死んでいることでしょう。

わたしを憎みたければ憎み、憐れみたければ憐れんでください。

これで筆を置き、新富座に向かいます。

そこで半日観劇したあと、あの丸薬を飲んで馬車に乗ります。

わたしは、あの満村のブタ野郎と同じように、息を止めることになるでしょう。

あなたがたは、この遺書を読むより先に、北畠義一郎医師が脳出血で亡くなった、という記事を読むかもしれませんね。

どうか、お幸せに、健康にすごしてくださいませ。

北畠義一郎より。

芥川龍之介「開化の殺人」を読んだ読書感想

原文はむつかしい漢字を多く使った文語体で書かれています。

そのためかなり読みづらく、細かな意味も理解しづらい作品です。

にもかかわらず、ストーリーは驚くほど明快に頭に入ってくるのです。

というのも、主人公、北畠義一郎の行動の底にあるのは、片思い、嫉妬、といった、だれもがいだく恋愛感情だからです。

ゆえに、細かなニュアンスはわからないけれど、彼はこのときこんな気分で、こんなふうに行動しているんだろうなあ、と自然に想像できるのです。

また、ストーリーも、読む者の予想を大きく外れずに展開しているので、「わかる」のです。

むしろ、わからない、という人のほうが少数派なのではないかと想像します。

こういう作品を読むとつくづく、芥川龍之介という人は天才だったのだなあ、と思うのでした。

さて、もうひとつ、この作品について私がいいなと思ったのは、最後のところです。

これから自殺しようとする主人公が、馬車から見える風景であるとか、馬車の屋根をたたく雨の音であるとか、ほんの一筆のことですが、実にうまく情感を出しているのです。

詩的であり、映画的でもあります。

このあたりが、うまいものだなあ、と感じたのでした。

-芥川龍之介

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