著者:芥川龍之介 1918年5月日(新聞掲載)に大阪毎日、東京日日(新聞)から出版
地獄変の主要登場人物
大殿様(おおとのさま)
堀川家の大殿
良秀(よしひで)
絵師。五十歳にとどくかどうかの年齢。
娘(むすめ)
良秀のひとり娘。十五歳。作中に名前は出てこない。
私(わたし)
堀川の大殿の家来。物語の語り手。作中に名前は出てこない。
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1分でわかる「地獄変」のあらすじ
絵師の良秀は、絵を描く実力では当代随一でしたが、容貌は醜く、品性もきわめて卑しい男でした。
彼には十五歳になるひとり娘がいました。
この娘が、父親にはまったく似ないかわいらしい女で、堀川の大殿様の邸宅で、小女房をして仕えていました。
あるとき、大殿様から地獄変の屏風を描くように言われた良秀は、苦心して、九割がたを描き上げたものの、最後の、燃えさかる牛車をどうしても描くことができません。
良秀は大殿様に、実際に牛車を燃やして、その様子を見せてほしい、と懇願します。
大殿様は、それを受諾するのですが……。
芥川龍之介「地獄変」の起承転結
【起】地獄変 のあらすじ①
堀川の大殿様は、壮大な邸宅をかまえているばかりではなく、その人間性が大変に大きなかたでした。
ご自分のことばかりではなく、天下のことを考える人間の大きさ。
あのかたの前では、魑魅魍魎も形無しでした。
そんな大殿様が、あるとき絵師の良秀に、地獄変の屏風を描くように言いつけたのでした。
良秀は、容姿が醜いばかりでなく、心根は卑しく、意地の悪い男でした。
それでいて、絵の腕前は、天下に彼の右に出るものなし、と言われるほどでした。
さて、五十に手が届こうという良秀には、十五歳になるひとり娘がいました。
この娘が、父親にはまったく似ずにかわいらしく、思いやりもあり、気の利く利発な少女でした。
そして、この娘は、大殿様のおぼしめしにより、堀川の邸宅で小女房として働いていました。
あるとき、邸宅につれてこられた小猿が、良秀に似ているといってからかわれ、いじめられていたことがありました。
良秀の娘は、これをあわれに思って、かばってやりました。
父がいじめられているようでつらかった、と述べた娘の心根のやさしさを、大殿様はほめて、褒美をくださったほどでした。
娘は皆に好かれ、小猿からもなつかれるようになりました。
父の良秀は、ケチで、恥知らずで、欲張りで、人間的にはどうしようもない男でしたが、ひとり娘にだけは愛情をそそいでいました。
彼は、娘を自分の手元に取り戻したいため、大殿様から依頼された絵を納めるとき、褒美として、娘に暇を出してくれるように頼むのでした。
大殿様はそれを許しません。
そんな願いが度重なり、しだいに大殿様が良秀を見る目が冷ややかになっていくのでした。
なのにどのような気まぐれか、大殿様は、良秀に、地獄変の屏風を描くように、と依頼したのです。
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【承】地獄変 のあらすじ②
私は後日、完成した良秀の地獄変の屏風を見ております。
それは、ほかの絵師たちのものとは、まったく異なっておりました。
一面を紅蓮の炎が覆い、黒煙と火の粉が舞っています。
業火に焼かれて苦しむ罪人たちとして、殿上人をはじめとして、ありとあらゆる種類の人間たちが描かれています。
そのなかでひときわ目立つのは、中空から落ちてくる牛車のなかで、もがき苦しむ女房の姿です。
このものすごい絵を描くために、あの悲しい出来事がおこったのです。
では、当時の話を続けましょう。
良秀は依頼を受けてから、五、六か月の間、絵に集中していました。
その間、弟子たちは、さまざまに奇怪な体験をしました。
ある弟子が絵の具をといているとき、良秀から、昼寝をするのでそばにいるように言いつけられました。
近頃夢見が悪い、というのがその理由です。
昼寝し始めた良秀は、悪夢にうなされ、すさまじい寝言を言います。
弟子は師匠を揺り起こそうとしますが、目ざめません。
そこでとうとう水をかけて、師匠を起こしたのでした。
あるいは、ある弟子は、絵の手本として裸になるように言われました。
いつものことなので、それに従うと、鎖で縛りあげられ、横倒しにさせられました。
良秀はその図を何枚も写生します。
が、そのとき、瓶に入っていた蛇が、するすると弟子のほうへ近寄ってきました。
目の前まで来たとき、弟子が悲鳴をあげ、それでようやく良秀が気づいて、蛇を退けたのでした。
あるいはまた、別の弟子が師匠の部屋に呼ばれると、そこには見慣れない鳥がいました。
ミミズクです。
ミミズクは突然弟子に襲いかかってきました。
弟子は悲鳴をあげて逃げ回ります。
良秀は弟子を助けるどころか、女のような少年がミミズクに苛まれる様子を、冷静に写生するのでした。
【転】地獄変 のあらすじ③
このようにして、地獄変の屏風絵を依頼された秋の初めから、冬の終わりまで、良秀の弟子たちは、師匠になにをされるのかと、びくびくしてすごすことになりました。
冬の終わりになると、良秀は、絵筆が止まってしまい、ひどく不機嫌になりました。
良秀は、人のいないところで、一人で泣いていたといいます。
その一方、良秀の娘のほうも、その頃にはだんだんと気がふさいだ様子になりました。
人々は恋煩いではないかと噂しました。
そのうち、あれは大殿様が言い寄っているのだと評判がたち、誰も娘のことを言わないようになりました。
ちょうどそのころ、夜更けに私が邸宅の廊下を通ったことがありました。
突然、あの小猿が出てきて、私の袴のすそを引っぱるのです。
小猿に引かれて進むと、どこかで人の争う物音がしました。
小猿は暴れて私にのしかかってきます。
私はよろめいて近くの戸にぶつかりました。
猿から逃げようとしてその戸を引くと、ちょうど良秀の娘が飛びだしてきたのです。
私にぶつかりそうになった娘の様子は、あの愛らしい小娘のものではありませんでした。
ほほを赤らめ、目を輝かせて、なまめかしく、衣はしどけなく乱れています。
ふと、遠ざかっていく足音を聞きました。
私は娘に、誰かと尋ねました。
しかし、彼女は頑として答えなかったのです。
そんなことがあってから半月ほどのちのことです。
屋敷へ良秀がやってきて、大殿様に面会しました。
良秀は、どうしても屏風の絵が完成しない、と言います。
女官を乗せた牛車が火だるまになって落ちてくる、という場面の手本がなくて、描けないのだと言うのです。
良秀は、牛車を燃やして見せてほしい、と頼みます。
大殿様は、あでやかな女官を乗せた車を燃やしてやろう、と答えたのでした。
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【結】地獄変 のあらすじ④
それから二、三日の後、大殿様の妹がかつて住んでおられた洛外の山荘で、牛車が燃やされることになりました。
そこは、いまでは誰も住んでおらず、すっかりさびれたお屋敷です。
大殿様と、配下の者たちと、良秀と弟子など、関係する者たちが集まりました。
月のない、真っ暗な晩でした。
庭にはすでに牛をつけていない牛車が置いてあります。
大殿様が、良秀に、これから車に火をかけて見せることを宣言します。
車のなかには、罪人の女を縛って乗せてあるそうです。
大殿様は、配下の者に、簾を上げてなかの女を良秀に見せてやるようにと命じました。
簾が上げられると、なんとそこには、良秀の娘が、鎖に縛られているではありませんか。
良秀は飛び上がり、車へ寄ろうとします。
そのとき、大殿様が火をつけるように命じました。
火は見る間に牛車を包みます。
良秀は近寄ろうとして、足を止め、燃える炎に見入ります。
大殿様は薄気味悪い笑みを浮かべて、車を見ています。
そのときです。
どこからか、あの小猿が現れ、ぱっと車のなかに飛びこんだのです。
猿も娘も、業火に焼かれます。
すさまじい音をたてて、火柱が上がります。
その様子を、良秀は恍惚とした表情でながめているのでした。
そのときの良秀には、人間と思えない厳かさがあったのです。
一方で、大殿様はまるで別人のように青ざめているのでした。
さて、そんな無残なことがあってからひと月後、良秀は地獄変の屏風絵を完成させて、お屋敷へ持ちこみました。
たまたまそのとき、良秀に批判的であった僧都が大殿様と一緒でしたが、彼でさえも、屏風絵のすごさを認めざるをえなかったのです。
その後、良秀は、自宅で首をくくって自死しました。
死骸は、いまでも家の跡に埋まっています。
芥川龍之介「地獄変」を読んだ読書感想
昔、十代のころに読んだ本作を、久しぶりに読み返しました。
すると、かなり違った印象を受けたのでした。
十代で読んだときは、良秀の残酷さだけが強く感じられたものでした。
しかし、今回読み返してみて、良秀の残酷さは、それはそれとして、むしろ大殿様の狡さと残忍さを強く感じたのです。
キーポイントは、中盤で、良秀の娘が夜中に騒いで逃げだそうとした事件です。
その前に、大殿様が良秀の娘に執心しているという噂が立ったことから、まず間違いなく大殿様が娘に夜這いをかけ、はねのけられた、ということでしょう。
十代のころの私は、ウブで、そういう想像ができなかったのでした。
思い通りにならなかった大殿様は、それを根に持って、娘を牛車に乗せて焼かせた、というのが、真実なのではないでしょうか。
語り手である〈私〉は、あえて、そんな噂がある、と言った上で、それを否定しています。
自分のボスを悪くは言えない、という考えから、一応否定する、という態度をとっただけで、実際は噂通りの出来事だったと見るのが正しいと思います。
したがって、この「地獄変」の物語は、傲慢な殿様が、小娘にフラれた腹いせに、彼女を焼き殺した、というきわめて下賤で通俗的なお話なのだ、と見ることができます。
もちろん、そのような通俗性が、いささかもこの作品の価値を減ずることはない、と断言します。
むしろ、庶民的な文学の傑作と言ってよいかと思うのです。