著者:田山花袋 1937年に花袋全集刊行会から出版
Nの水死の主要登場人物
K博士(けーはかせ)
五十歳をこえた男性。作中「博士K」と「K博士」という書き方が混在しているので、ここでは後者に統一した。
治子(はるこ)
K博士の妻。四十歳を超えている。
N(えぬ)
K博士の学生時代の友人。同じ工科の学生。
O博士(おーはかせ)
K博士の級友。Nとも知り合い。現在は地方の大きな製鉄所に赴任している。
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1分でわかる「Nの水死」のあらすじ
K博士は五十歳をすぎて重病となり、寝たきりの生活をおくっています。
それが最近、悪夢にうなされ、「N君」と昔の級友の名を呼びます。
さらには、自分が悪かった、と手でなにかをはらいのけようとするのです。
N君は、昔に亡くなっています。
学生時代に、級友であったKと、好意をもっていた治子と三人で、治子の親の持つ別荘に遊びに行き、水難事故にあったのです。
彼の死について、K博士には秘密があるようです。
K博士はその秘密を、いよいよ死が迫ったときになって、妻の治子に打ち明けるのでした。
田山花袋「Nの水死」の起承転結
【起】Nの水死 のあらすじ①
K博士が重病を患って床についてから、もう五、六か月がたちます。
一時は小康状態となり、庭の散歩くらいはできたのですが、いまではそれもかなわず、医者にも打つ手がない状態です。
博士には美しく若々しい妻の治子がいます。
子供は、十九歳の総領娘を筆頭に、ふたりの男子に恵まれました。
また、博士は学業で大変な功績をあげ、人々に尊敬されています。
金銭的にも多大な富を得て、立派な邸宅を構えています。
人もうらやむそんな暮らしも、しかし、近づく死の前には、なんの価値もないのでした。
あるとき、博士は寝ている間に悪夢を見て、うなされました。
何度もN君の名を呼び、「僕が悪かった」と言うのです。
治子が夫を起こして、どうしたのかと訊ねても、教えてくれません。
またあるとき、自分はいよいよだめかもしれないと治子に話し、昔のN君との思い出を語りました。
ある出来事があって一時間ほど後、N君の死骸は岸にあがりました。
当時、まだ独身だった治子は、その死骸にとりすがって泣いたものでした。
その場所は、学者だった治子の父が持っていた小さな別荘から、遠くない海岸でした。
K博士が治子と結婚したあとも、舅はその別荘を所有していました。
でも、K博士は二度とその別荘に行こうとはしませんでした。
嫌な思い出があるから、と拒否したのです。
いま博士は親友であったN君とのことを思いだし、治子に言います、「Nはよい男だった。
お前はNと結婚したほうが幸せだったに違いない」と。
博士の目には、N君の死骸があがったときの治子の泣き顔が、いまも焼き付いているのでした。
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【承】Nの水死 のあらすじ②
治子もまた、Nとの思い出を胸によみがえらせます。
当時、治子は十九歳で、お茶の水に通う女学生でした。
工科の学生であったNとは、結婚の約束まではしていないものの、恋人どうしに近い気持ちでいました。
その年の夏休み、治子はKも誘って、Nと三人で、父の別荘に一か月の宿泊をしました。
Nとふたりで未婚の男女がいっしょに泊まるわけにもいかず、いわば隠れ蓑として、Kを誘ったのです。
治子たち三人は、別荘の近くの海岸をよく散歩しました。
文学好きのNは、よくロマンチックな小説の話を治子に聞かせたものです。
NとKとは親友で、サルマタひとつになって海に飛びこんだりしました。
泳ぎはNよりKのほうが達者でした。
治子とNのふたりきりで散歩することもありました。
でも、まだ恋の話をするほどでもなく、早々に別荘に引き上げたのでした。
別荘には中年の女性が雇われており、気持ちよく三人の世話をしてくれました。
Nがスイカを買ってきてくれ、とお金を渡すと、近隣の畑から大きなスイカを安く仕入れてきてくれました。
三人でおいしくいただきながら、笑いあったものでした。
それはなんとも楽しい、青春の一ページでした。
その楽しい日々に、ある日突然終わりが来たのです。
その日、三人で海岸を散歩しました。
NとKがいつものように海に入り、治子は足元の貝に気を取られていました。
ふと見ると、Nがひとりで遠くへ泳いでいきます。
Kは別の方向へ泳いでいきます。
と、Nが溺れて、助けを求めます。
KはNのほうへ泳ぎ出しますが、そのスピードは、いつもより遅く感じられました。
結局、Kが助けに行く前に、Nは沈んでしまいました。
村の漁師を頼んで引きあげたとき、Nは青白い骸となっていたのでした。
【転】Nの水死 のあらすじ③
治子はあの夏の別荘での日々をもう一度思い浮かべます。
あのときKには治子に対する恋心があったことは確かです。
しかし、それでいて、Nの死後、仲立ちする人がいてKと治子を結び付けようとしたとき、Kがむしろそれを避けようとしたのが不思議でした。
自分にはとてもお嬢さんをもらう資格はないのだ、と言って断ったのです。
それでも結局ふたりは結婚しました。
結婚当初、治子は亡くなったNのことがとても気がかりでした。
KはNの話をするのがつらいらしく、夫婦の話題がNのことに及びそうになると、強引に話をそらしたりするのでした。
その後は、治子はすっかりNのことを忘れていました。
夫は名誉を手にし、財産も得ました。
ふたりの間には一女二男の子があり、丈夫に育ちました。
K博士が口数が少なく、陰気なのが、ほとんど唯一の困りごとでした。
それでも治子は総じて幸せな半生を送ってきたのです。
ある日、K博士の級友で、Nとも知り合いだったO博士が、上京のついでに、Kの見舞いにやってきました。
KはNの家族について尋ねました。
Oの話によると、Nの親は亡くなり、弟は仕事に失敗して満州へ渡り、妹は教師に嫁いだ、とのことです。
Kはつらい世の中を嘆き、自分も治らない、治らない理由があるのだ、と言います。
さらに、死ぬ前にひとつどうしてもやっておかなければならないことがある、と言うのです。
ただし、いまのKにとっては、それはたいへんな重荷らしいのです。
治子が部屋に来ると、Oは、「Kが意外に良いようで、ほっとした」と話します。
治子は、夫がすっかり気が弱くなって、昔のことばかり考える、と嘆くのでした。
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【結】Nの水死 のあらすじ④
K博士の病状はしだいに重くなり、医者は、あと一日か二日の命と宣告しました。
たいへんな苦しみようです。
医者が注射したおかげで、いくらか楽になったとき、Kは妻を呼びよせ、ほかの者に席をはずすように指示しました。
「このくらい苦しめば、おれの罪も少しは軽くなりそうなものだ」とKは言います。
Kが、さらになにか言いたそうです。
治子がうながすと、ようやくKはしゃべりました。
自分は秘密をかかえている、この秘密を家族のためにあの世へかかえていこうしたが、できないと思った、そう言うのです。
そしてとうとうNの死について告白します、「Nが水死したのは、おれが殺したようなものだ」と。
あのころ、Kは治子のことが好きで、Nに嫉妬していました。
治子を自分のものにしたい、という欲望がありました。
そこでKは、Nを遠い海につれだしたのです。
さらに、Nが溺れたとき、泳ぎの達者はKは、助けようと思えば助けられたのに、わざとゆっくりと泳いで、Nが沈むのに間に合わないようにしたのでした。
しかし、そうして実際にNが亡くなり、彼の遺骸にとりすがって泣く治子を見たとき、Kの欲望はすっかり覚めたのでした。
治子と結婚したあと、Kは罪悪感にさいなまれ、つらい一生を送ってきました。
つらさをまぎらわせるために、書斎に没頭しました。
皮肉なことに、そのために名誉と富を手に入れることになったのでした。
Kは治子に「許してくれ」と謝ります。
「言わないで死のうと思ったが、言わないうちはどうしても死ねなかった」というのが、Kのいまわのきわの告白だったのです。
田山花袋「Nの水死」を読んだ読書感想
田山花袋のロマンティック・サスペンス小説です。
田山花袋というと「蒲団」が代表作であると教科書で習いました。
でも実際に「蒲団」を読んだ人が、はたしてどれだけいるのでしょう。
実はわたしも読んだことがないのです。
どうやら私小説らしいのですが、古い小説となるとどうしても避けたくなってしまうのです。
すみません。
それはさておき、この「Nの水死」です。
むつかしいところはなにもありません。
病気になった初老の男が、若い頃の罪にさいなまれ、とうとう妻に告白する、という形の小説です。
その罪というのがなんであるのか、については、割に早い段階から、読者に想像がつくようになっています。
ですから、意外な展開に目をうばわれる、というミステリではなく、恋をしたひとりの青年の苦悩に共感する、ロマンティック・サスペンス小説と言ってよいかと思います。
だれしも、Kの立場に立てば、同じように嫉妬し、欲望を抱くだろうと思います。
そして、自分のしたことに罪悪感を抱くのにも、充分に共感できるのではないでしょうか。
実にわかりやすい、エンタメ小説だと思います。