著者:谷崎潤一郎 1933年12月に創元社から出版
春琴抄の主要登場人物
春琴(しゅんきん)
本作のヒロイン。大阪の商家の次女で盲目。音曲を学ぶ。本名琴。
佐助(さすけ)
春琴の家の丁稚。春琴の小間使いとなり、後に春琴の弟子になる
利太郎(りたろう)
春琴の美貌を目あてに弟子入りする名家の息子
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1分でわかる「春琴抄」のあらすじ
大阪の商家の娘である春琴は幼い頃に失明し、音曲を学びはじめます。
春琴の商家に奉公していた佐助は、稽古の際の送り迎えに「おとなしゅうていらんこと言えへんよって」と、春琴に気に入られ、以来お供は佐助に任されました。
春琴は盲目ということもあり、両親から甘やかされて育ったため、佐助に対してもわがまま放題に振る舞います。
しかし、佐助はそんな春琴のわがままにも喜びをもって仕えていました。
やがて春琴は、音曲の師匠として独立します。
佐助はそのまま春琴を師と仰ぎ、彼女の身の回りの世話と音曲の弟子になりました。
しかしある時、名家のぼん、利太郎が春琴に言い寄り、春琴は激しく拒絶します。
その後、春琴は何者かに熱湯を浴びせられて美しい顔を傷つけられてしまいます。
「佐助に見られたくない」という春琴の嘆きに、佐助は自らの目を針でつき、盲目となることで春琴の願いに応えたのでした。
谷崎潤一郎「春琴抄」の起承転結
【起】春琴抄 のあらすじ①
物語は作家である「私」が佐助の墓を訪れるところから始まります。
幕末、大阪の薬種商に春琴という娘がおりました。
彼女は幼い頃に失明してしまい、その後は音曲の師匠に春琴や三味線を学びましたす。
師匠の家への送り迎えは丁稚の佐助にまかされました。
大人しく従順な佐助は、盲目の春琴へのおべんちゃらなど言わず、ひたすら春琴の手をとり、送り迎えを行えることに喜びを覚えておりました。
しかし、春琴は美しく、幼い頃に失明したため、ふびんに思った両親から甘やかされ、周囲の人間にかんしゃくを起こしたり、わがままな振る舞いが目立ちましたが、それでも佐助はまめまめしく春琴の世話をするのでした。
厠(かわや)の後はひしゃくで手に水をかけたり、夏の暑い日はうちわであおいだりと、佐助は片時も春琴の前では油断する間もありませんでした。
春琴もまた、試すかように佐助に意地悪な振る舞いをするものの、佐助はそれを嫌がるどころか、むしろ喜びを感じながらこの若い女主人に仕えているのでした。
春琴が師匠に稽古をつけてもらっている間も佐助は近くに控えており、呼ばれたらすぐに駆けつけられるように集中して音を聞いていました。
そうするとそのうち、春琴の奏でる音曲が自然に耳に入ってきました。
やがて、春琴の愛する音を自分でも奏でてみたいと思い、お金をためて三味線を購入し、見様見まねで三味線の練習をするようになりました。
しかし、丁稚は大部屋での共同生活ですので、佐助は天井裏へ上がって一人三味線の稽古をしたのです。
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【承】春琴抄 のあらすじ②
佐助の秘密の三味線稽古は、夏は蒸し風呂の屋根裏、冬は極寒の物干し台で続けられました。
暗闇の中でも、盲目の春琴に近づけるような気がして苦になりません。
しかし、そんな彼のひみつ稽古は、後に春琴に知られるこようになりました。
ある時、物干し台で稽古をしていたのを、春琴の母親に聞かれてしまい、激しくどがめられます。
そんな時に佐助に助け舟を出したのが春琴でした。
三味線の技量を知りたいと、春琴の前で三味線を披露することになりました。
独学ながらいくつもの曲を習得していた佐助の腕前を聞き、春琴の弟子として学ぶことができるようになったのです。
奉公人がその家の娘に音曲を習うなど前代未聞の出来事でしたが、春琴をふびんに思う両親も、春琴のわがままに困っていた他の奉公人たちも、佐助が春琴の相手をしてくれることに喜びます。
佐助は将来、実家の店を継ぐために奉公にきたのですが、店のものも春琴の両親も、佐助の将来よりも、春琴の機嫌を取ることのほうが重要だと考えていたのです。
一方の佐助は、恋い慕う春琴から直接指導をうけられることは、何物にも代えがたい喜びでした。
そうして年若い師匠と弟子の「学校ごっこ」のような指導が始まりました。
しかし、わがままで意地悪、そして音曲に厳しい春琴は、これまで以上に佐助を追い詰めていくのでした。
最初は、春琴が師匠のまね事をしていたにすぎませんでしたが、ふたりは徐々に稽古に熱が入り、春琴がバチで佐助をたたき、佐助が泣き出すこともしばしばだったのです。
【転】春琴抄 のあらすじ③
佐助に稽古をつけるようになり、ますます増長し、粗暴な振る舞いが目立つようになった春琴を両親は心配し、佐助を娘の婿にして面倒を見させたいと思うようになりました。
二人が一緒になるのはどうかと春琴に問いただしたところ、春琴は「一生、誰とも結婚する気はない」と申し出を拒絶します。
しかしその後、春琴の妊娠が発覚しますが、春琴は相手の名前を明かしません。
両親が子どもの父親は佐助ではないか、と訪ねても春琴は「あんな丁稚風情と」といって否定します。
佐助の方にも春琴の相手を問いただしてみると、挙動が不審になるももの、どうあっても二人は認めません。
やがて生まれた子どもは佐助にそっくりでしたが、ふたりとも生まれた子どもに愛情を持つことはなく、子どもはやがて里子に出されました。
無理に問いただしたり、結婚を勧めると、春琴は怒り、佐助は恐縮するばかりでしたので、その後、春琴と佐助の関係は周囲にとって公然の秘密となりました。
やがて師匠が他界したため春琴は音曲の師匠として独立します。
そこには当然のごとく付き従う佐助の姿がありました。
独立してひとつ屋根の下に住むようになると、春琴の食事の給仕から入浴の世話、門人への代稽古まで、すべて佐助が行いました。
音曲の師匠となった春琴の元へは、その美貌をうわさに聞いた男たちが興味本位で弟子入りしてきましたが、教え方は苛烈を極め、なかなか門人が続きませんでした。
ある時、利太郎という名家の息子が春琴目当てで弟子入りします。
利太郎は春琴を梅の宴に誘い、そこで春琴を口説こうとします。
そんな利太郎に春琴は厳しい態度で稽古をつけ、バチで殴りつけ出血をさせてしまいます。
また、ある時芸者見習いの少女の父が稽古で娘に傷をつけられたと春琴のところへ押しかけてきました。
そんなことが続いたある日、春琴は忍び込んだ暴漢に熱湯で顔を傷つけられてしまうのでした。
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【結】春琴抄 のあらすじ④
春琴は暴漢に熱湯をかけられ、顔に大やけどを負った春琴は、自分の顔を見られるのを極端に嫌がるようになり、佐助でさえも治療の時は部屋を出されました。
治療が終わっても容貌が衰えた顔を佐助に見られるのを恐れた春琴は、佐助に涙ながらに顔を見るなと頼みます。
プライドの高い春琴が、涙をながすまで追い詰められたのをみた佐助は、ある決心をします。
それは自ら盲目となって春琴の願いをかなえるというものでした。
縫い針を持ち出し、自分の両目をつくと、春琴に「自分も盲目となりましたので、顔を見る心配はありません」と告げるのでした。
この、常人には恐ろしい行為も、佐助にとっては、盲目となることで春琴と同じ世界に住むことができる喜びでしかありませんでした。
その後も佐助は不自由な目でありながらかいがいしく春琴の世話を続けました。
春琴の方も着物の着付けから入浴介助まで、ほとんどの世話を佐助にまかせていました。
春琴は人に合うのを嫌がり部屋に引きこもるようになり、佐助が変わりに門人に稽古をつけるようになりました。
しかし、佐助の助けがいるときはたとえ稽古中であろうとも呼びつけ、佐助も稽古を中断して駆けつける献身の様子は変わりませんでした。
やがて年をとると、かたくなだった春琴の心も動き、結婚も考えるようになってきたましたが、今度は佐助のほうがそれを拒みました。
佐助は美しく尊大でわがままな春琴を愛していたのです。
そのため、あくまでも自分は弟子であり、生涯、主従の関係を崩すことはなく春琴に仕え続けました。
谷崎潤一郎「春琴抄」を読んだ読書感想
春琴抄は何度も映画化された谷崎潤一郎の名作です。
美しいけれどわがままで意地悪な春琴と、彼女に仕える佐助の関係はまさにサディズムとマゾヒズムのようでした。
普通の人なら逃げ出すような春琴のわがままや意地悪を、佐助はむしろ喜んで受け止めています。
厳しくされればされるほど、春琴に対しての思慕が募っていく姿は痛々しくもあり、どこか恐ろしくもあります。
男と女の関係となった後も、春琴を主人のごとく敬い愛する様子は、当時の男尊女卑の世の中の逆を行く恋愛の形だと思います。
谷崎潤一郎は『幇間』でも、もてあそばれることで快感を得る男の姿を描いています。
そうした男たちにとって、自分を叱ったり蔑んでくれる女性を女神のごとく慕うのでしょう。
最後は歳をとった春琴が気が弱くなり、佐助に対して結婚してもよいと思い直しますが、佐助はむしろ自分を下に見てほしくて断ります。
この頃になるともう、春琴そのものよりも、自分の理想とする春琴像を愛しているようでした。
それを春琴は知っていたのでしょうか。
知っていたとしたら女として寂しい気もします。