趣味の遺伝 夏目漱石

夏目漱石

夏目漱石「趣味の遺伝」のあらすじを徹底解説、読んでみた感想

著者:夏目漱石 2016年7月にゴマブックスから出版

趣味の遺伝の主要登場人物

余(よ)
物語の語り手。学者で後進を育てるために教壇にも立つ。独自の研究を続けているが文才はない。

河上浩一(かわかみこういち)
余の親友で故人。生前は「浩さん」の愛称で多くの人に親しまれた。

寂光院(じゃっこういん)
本名は不明。色白で人目をひくほどのルックス。

河上才三(かわかみさいぞう)
浩一の祖父。城中の警備や風紀を取り締まっていた。主君への忠誠心が厚い。

小野田帯刀(おのだたてわき)
河上家の向かいに200石の屋敷を構える。娘を溺愛していた。

1分でわかる「趣味の遺伝」のあらすじ

日露戦争のがい旋パレードで町中は盛り上がっていますが、若くして出征した「余」の友人・河上浩一はすでにこの世にいません。

浩一のお墓参りに行った時に鉢合わせをした女性の正体が、彼の母親から託された日記に書かれていたお相手と同一人物だと突き止めます。

ふたりの先祖が結婚を誓い合った仲だったこと、理不尽な理由から引き裂かれてしまったこと。

前世からの浅からぬ宿縁を感じた余は、女性と浩一の母親を引き合わせるのでした。

夏目漱石「趣味の遺伝」の起承転結

【起】趣味の遺伝 のあらすじ①

帰ってきた英雄たちと帰らぬ友

本郷西片町の近くには東京大学があり多くの学者が住んでいて、余もそのひとりで若者たちを相手に講義をしています。

ある時に仕事が終わって空想にふけりながら散歩をしていると、いつの間にか新橋の停車場前の広場まで来ていました。

日の丸の旗を持った大勢の人が歓声を送るプラットフォームに現れたのは、ロシアとの戦争を勝利に導いた兵隊たちです。

先頭は日本国民であれば知らない人はいない小柄で日焼けした将軍、その次はオリーブ色の新品の軍服を着た下士官たち。

最後尾には足にゲートルを巻き付けた下級の兵隊たちが続きますが、その中のひとりに28〜9歳くらいの軍曹がいました。

見覚えがあったために人混みをかき分けて近づきましたが、よく見てみるとまるで似ていません。

余にとって河上浩一は唯一無二の友人でしたが、去年の11月に旅順の北方・松樹山へ突撃した際に爆死しています。

例の軍曹の腕には腰が曲がった高齢女性がぶら下がっていましたが、我が子の生還を待ちわびていた母親でしょう。

見知らぬ親子の再会に感動した余は、久しぶりに浩一の母親に会いに行って慰めてあげるつもりです。

喜怒哀楽が激しい浩一の母は余が訪ねていく度に大喜びするかと思えば、身寄りがいなくなってしまったことを嘆き始めて1時間くらいは止まりません。

泣き疲れてようやく落ち着いた頃に暇乞いをすると、差し出されたのは1冊の日記帳です。

ぜひとも読んでほしいと言われた余は、この日記を何かの役に立てて浩一を弔ってあげることにします。

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【承】趣味の遺伝 のあらすじ②

花の色香が漂う名もなき乙女

もしも余が詩人か俳人であるならば、追悼の句を作って文芸雑誌にでも発表してあげたいところです。

小説家でもない余が生前の浩一との思い出をそのまま手記にして、世に送り出すのも難しいでしょう。

浩一の遺体はいまだに発見されていませんが記念の遺髪は駒込のお寺に埋葬されているために、とりあえずはお参りに行ってみることにしました。

河上家代々のお墓の前にはすでに先客がいるようで、竹やぶで囲まれた陰に若い女性が白いハンカチを握りしめています。

帝国ホテルの夜会に参加する良家の令嬢、日本橋三越の呉服店でお買い物をする有閑マダム、箱根の温泉街を観光する外国人、大阪住吉の花街を行き交う芸者。

これまでにも余はさまざまな場所で数多くの女性を見てきましたが、彼女ほど美しい人は見たことがありません。

彼女は墓の前に設置された花筒に真っ白な花をお供えしていましたが、浩一が大好きだった豆菊です。

浩一の実家には高等学校の時代から出入りしていたために内情にも詳しいですが、親類縁者に若いお嬢さんがいるとは聞いていません。

生まれつき人好きのする性質で開けっ広げな浩一であれば、異性と交際していた場合には包み隠さずに打ち明けていたでしょう。

真正面からぶつかって名前だけでも聞いてみようか、探偵のようにこっそりと後を付けてみようか。

延々と思い悩んでいるうちに彼女は門を出て長い石段を降りていき、四つ角の先へと消えてしまいました。

ヘリオトロープらしき香水の香りを漂わせていた彼女を、余はこの寺にちなんで「寂光院」と名付けます。

【転】趣味の遺伝 のあらすじ③

趣味の学問を生かして謎解き

西片町の自宅に引き上げて書斎で預かっていた日記帳をパラパラとめくっていた余は、「郵便局で会った女」という一文にドキリとしました。

亡くなる数日前にもこの女の夢を見たそうで、死と隣り合わせの戦地で浩一にとっては精神的な支えになっていたのでしょう。

日記の中の女が寂光院であることは間違いありませんが、浩一との関係性については以前として謎が残っています。

次の日になっても寂光院の姿が脳裏に焼き付いていたために、学校での授業にもいまいち身が入りません。

休み時間や放課後になると近頃では遺伝について調べていますが、医学の知識がある訳でもなく生物学者でもない余にとっては趣味のようなものです。

過去から未来へとつながっていくのが遺伝であるならば、今から昔へとさかのぼっていけば自然と答えを導き出せるでしょう。

浩一は東京で生まれて本郷で育っていますが、先祖は紀州の藩士で江戸に赴任してきたと話していました。

和歌山県出身の同僚がたまたま職員室にいたために、同郷で特に藩の歴史に詳しいという知人の男性を紹介してもらいます。

面会がかなったのは2〜3日後のことで、場所は学校から人力車で25銭ほどで着く麻布のお屋敷です。

元家老の家柄、明治維新の時には武術の達人として活躍、80歳になった今でも毎朝かかさないトレーニング、いま現在では華族に仕えて事務や会計を担当。

かなりの高齢ですが記憶力は抜群のようで、ひとしきり自慢や昔話に付き合わされた後でようやく本題に入ります。

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【結】趣味の遺伝 のあらすじ④

時と血をこえて結ばれたふたり

浩一の父親に当たる貢五郎は藩邸で勤務する江戸詰、貢五郎の父・才三は将軍が不在の際に警備・監督を任される留守居。

才三は浩一とそっくりな顔をしていて、優しく忠誠心の厚い青年だったそうです。

河上一家の藩邸の真向かいに領地と屋敷を持っていたのが小野田帯刀で、その娘は江戸でも有名なほど容姿が端麗でした。

才三に恋をした娘から彼と一緒になれないなら死ぬと泣き付かれたために、帯刀はすぐに結婚式の準備をしますが横やりを入れてきたのが家老の御曹司です。

幼い頃から殿様の相手をして育ってきたために御上にも顔が広く、家老から圧力をかけられては帯刀も才三も逆らえません。

河上家はこれまで通りに江戸城中での勤務、小野田家は故郷に帰って諸大名に仕える国詰。

両家が引き離されたのも帯刀の娘に因果を言い含めるためで、妙なうわさが市中に出回るのを防ぐための策でした。

破談が決まってから才三は人が変わったようになり、道楽に明け暮れて一生を終えたのも愛する人への未練があったからでしょう。

小野田という工学博士が本郷の郵便局の近所に住んでいて、博士には独身の妹がいるがやはり美人だということで血統は争えません。

常日頃から主張してきた「趣味の遺伝」説が理論上は証明されたために余は大満足ですが、心残りなのが浩一の母親です。

ひとり息子を亡くして寂しがっている彼女のもとへ遊びに行ってほしいという頼みを、寂光院であり郵便局の女でもある博士の妹は承諾してくれます。

数日後、年齢の離れたふたりが実の母娘のように散歩をしている姿を見て余は清らかな涙を流すのでした。

夏目漱石「趣味の遺伝」を読んだ読書感想

大勢の観衆たちが「バンザイ」を叫んで帰還兵たちをお出迎えする、新橋広場から物語は幕を開けていきます。

この熱狂ぶりにどこか冷めたまなざしを送っている主人公が印象的です。

ゴリゴリの愛国主義ともお堅い反戦論者とも言えない、捉えどころのない知識人としての夏目漱石の考え方が伝わってきますね。

若くして戦場に散った河上浩一の無念さと、愛する我が子を奪われて嘆き悲しむ年老いた母親の姿には胸が痛みました。

辛抱強く母親の恨み節の聞き役になったり、死者の魂を鎮めるためにできることはないかと奔走したりと実に義理堅い主人公。

そんな彼が静けさと厳粛なムードに満ちあふれたお寺の境内で、ミステリアスな女性のシルエットを目撃するシーンがドラマチックです。

戦争によって引き裂かれた男女にまつわるラブストーリーかと思いきや、歴史ミステリーに急展開したりと予測がつきません。

血のつながらないふたりの女性が不思議な絆によって結ばれていくラストには心が温まります。

-夏目漱石

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