著者:村上春樹 1985年6月に新潮社から出版
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドの主要登場人物
僕(ぼく)
「世界の終り」パートの主人公。唐突に「街」におり、それ以前の記憶はない。
影(かげ)
「僕」が街に入る際に、引き剥がされてしまった「僕」の心の部分。
私(わたし)
「ハードボイルド・ワンダーランド」パートの主人公。計算士として働く。
博士(はかせ)
「私」に仕事を依頼した天才博士。
太った娘(ふとったむすめ)
天才博士の孫で、「私」を博士の元に案内する。
1分でわかる「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のあらすじ
気がつくと、世界の終りと呼ばれる静かな街の前に立っていた「僕」と、現代社会で老博士から奇妙な依頼を受ける計算士の「私。」
ファンタジー世界と現代で「僕」と「私」の視点が交互に語られながら、やがて二つの世界がリンクしていくというSF的ファンタジー小説です。
それまでの記憶を失い、「夢読み」として街の枠組みに取り込まれていく「僕」と、博士の依頼ののち次々とおかしな事件に見舞われ、やがて自身の最も深い部分に気づいていく「私。」
それぞれの理不尽な出来事や冒険を通して「本当の自分」とは何かを考えさせられる物語で、結末については読者に委ねられており、様々な解釈があることも本作の魅力となっています。
村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の起承転結
【起】世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド のあらすじ①
優秀な計算士として働く「私」は、とある依頼を受けて企業を訪れます。
そこで私を案内したのは若く太った娘で、ビルの中をあちこち彷徨った挙句、隠し通路から地下の滝をくぐって洞窟の中へと私を連れていきます。
そこに待っていたのは風変わりな老博士で、太った娘は博士の孫娘でした。
博士は高額の報酬と引き換えに一般的な暗号計算の仕事を依頼し、不思議なおみやげを持たせます。
私はそれを訝しく思いながらも、天才は何を考えているのか分からないし、仕事は仕事と割り切って冷静に業務に取り組みました。
一方、世界の終りの街にいる「僕」は、街の門番によって地面に映る自身の影をナイフで引き剥がされていました。
鹿のような一角獣がいるこの街には数多くの決まりごとがあり、門番は僕の影を隔離して面会の機会を定め、「夢読み」という職に就く僕の目をナイフで刺して夢読み用の眼球を与えました。
夢読みを行う場所である街の図書館へ行くと、そこには夢読みの助手をする役割の女の子がおり、彼女が夢読みの仕事について説明しました。
それは、図書館に保存された一角獣たちの頭骨からその夢を取り出すというもので、感覚的な作業になるためやり方は自分で探るしかありませんでした。
僕に与えられた住居は退役軍人たちが住む寮のような場所で、大佐と呼ばれる隣人が僕をもてなし、よくしてくれました。
しかし、影とともに記憶を失った僕は自分がなぜここにいるのか、ここはどういう場所なのかが分からずそれを質問しますが、誰からも明確な答えは返ってきませんでした。
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【承】世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド のあらすじ②
博士のおみやげは動物の頭蓋骨のレプリカで、私は図書館の司書の女の子にその資料を自宅まで持ってきてもらいました。
私が手料理でもてなすと彼女は胃袋が底なしのようにそれを食べ、私は彼女と寝ますが、その食欲に圧倒されたのか勃起せずセックスには至りませんでした。
資料によるとレプリカの頭蓋骨は隔絶された場所に住んでいて、今は絶滅した一角獣のものに近いということでした。
その後私は突然の電話で太った娘から呼び出されますが、結局彼女は来ません。
次の電話は計算士の担当エージェントからの業務確認で、しかし、あの博士からの依頼はエージェントを通さない規則違反に当たるようで、私はそれを黙っていました。
計算士の組織は企業の機密情報の暗号化を請け負っており、私を含む一部のエリートのみが暗号化の作業を本人の無意識化において脳内で行う「シャフリング」という技術を使うことが出来ます。
ただ、計算士の情報を常に付け狙い奪おうとする別組織があり、「記号士」と呼ばれる彼らは非道なことも辞さないという噂でした。
するとどこから情報が漏れたのか、私のマンションに早速記号士らしき二人組が現れ、部屋を荒らし、私の腹をナイフで数ミリ切り裂いて拷問します。
記号士は博士からの依頼内容を聞きたがっていましたが、私は言いませんでした。
一方、街にいる僕は夢読みの仕事も難航し、何もかもが釈然としません。
門番は、この街からは誰も出られず、出入りできるのは一角の獣だけだということでした。
夢読み用の眼球は日差しに弱く、曇りか夜の間しか外を出歩けないのも、街のことを調べるのに不便でした。
そんな中、門番に見張られながらも自分の影と面会し、僕と影はこの街が何かおかしいという点を話し合います。
そこで自由に動き回れない影は、僕にこの街の地図を作るように言います。
門番や大佐に牽制されながらも少しずつ街の地図を作る作業を進め、僕は図書館の女の子とともに森の中の発電所を訪れました。
街と森は分かたれており、発電所の管理人は心をうまく消しきれなかった森の住人でした。
管理人は使い道の分からない楽器を僕に見せ、僕はそれを少しだけ弾くことが出来ました。
図書館の女の子も、母親が唄った歌を少しだけ覚えていました。
音楽というものが心の作用によるものだと気づき、僕はこれを失わないようにと思いましたが、最初の雪が降り、疲労のため倒れてしまいました。
【転】世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド のあらすじ③
拷問を受けた私は病院に行きウイスキーを飲んで寝ますが、今度こそ太った娘がやってきて、早くしないと大変なことになると私を叩き起こし、再び地下の洞窟へと連れていきました。
その途中で確認したメモには今日の日付にバツ印があり、その意味を娘に問うと、世界が終わるとの答えでした。
それは博士にしか分からないことのようで、洞窟で博士を探しますが、その姿はありません。
ここも記号士に荒らされた跡があり、娘は、祖父は秘密の場所に逃げたはずだから自分たちもそこに向かおうと言いました。
二人は洞窟のさらに奥、やみくろと呼ばれる存在が跋扈する地下へと下りていき、やみくろの巣の中心、彼らが崇拝する腐った魚の神の神聖な場所へと向かいました。
やみくろやヒルや浸水と戦いながら何とか博士に会うと、真実が語られます。
全ては博士の企みであり、シャフリング技術を発明し、私にその手術を施したのも彼でした。
手術の唯一の生き残りである私に興味を持った博士が私の脳内をいじくり、シャフリングに必要な「意識の核」の他に、分かりやすく簡易化した「仮の意識の核」を植え付けたため、平常時の意識と意識の核を繋ぐ回線が焼き切れてしまうとのことでした。
それを防ぐのが今回の仕事の依頼の本当の目的だったのですが、記号士のせいでそれは出来なくなり、手遅れでした。
一方僕は体調を少しずつ回復させていましたが、冬になり影が弱ってきて、影が死ねば、本当に僕の心も消えてしまうということでした。
影が生きているうちに地図を完成させ、二人でこの街から逃げ出さなくては永遠に心を失って生きていくことになります。
しかし、近づくと生気を奪われる頑強な壁が街を全て取り囲み、出口があるようには思えませんでした。
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【結】世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド のあらすじ④
私と太った娘は、やみくろの巣を抜けて、地下鉄の線路を歩いて何とか地上まで戻ってきました。
博士の計算によれば、私の脳内の回路が焼ききれ、「世界の終り」と名付けられた仮の意識の核の中に閉じ込められるまであと十数時間です。
私は最後に何をしたいかと考え、図書館の女の子を誘って食事に行きました。
なぜか見える世界が少しずつ変わって感じられ、植え込みの花やカタツムリが新鮮に思え、意識の変容が始まりつつあるのが分かりました。
女の子と自宅に戻って今度は完璧にセックスをし、女の子は、私たちは似合いだから、今後もこうして過ごそうと私に好意を持ちます。
そして女の子は、テレビの上のレプリカの頭蓋骨が光っているのに気付き、二人でその淡い光を眺めました。
私はそれを見て、ありもしない昔の記憶がありありと蘇る感覚がありました。
一方、僕は図書館で夢読みの仕事に没頭しており、初めて、獣の頭骨から彼らの夢を取り出すことに成功していました。
その骨は淡く光り、僕の指先を通して、そこの蓄積されていた夢や記憶が解き放たれていきました。
獣たちは人々の心の残滓のようなものを吸い取り、街の外に掻い出して、毎年冬には死んでいくという役割でした。
獣のおかげで街の人々は、余計な悩みや葛藤を抱えることなく、心のない平穏で静寂で完璧に安定した日々を永遠に送っていたのです。
私はそのような意識の核を脳内に持っており、博士のせいで、私自身の人格が「僕」としてそこに送られてしまったのです。
私は翌日、女の子と公園でビールを飲んだ後、車の中で最後の時を迎えました。
街では、僕が影とともに最後の逃避行に出かけ、唯一の街からの出口である泉に飛び込もうとしましたが、僕は図書館の女の子とともに、心を消しきれなかった人として森で生きることを選び、影だけがその泉に飛び込みました。
ただ鳥だけが、壁を越えて街の外へと飛んでいきました。
村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ読書感想
世界のムラカミこと村上春樹の作品の中では、やや異色の作品です。
村上春樹らしい要素はふんだんに散りばめられているものの、ファンタジー世界とやや近未来を思わせる現代社会を行き来するSF的な雰囲気は、恋愛や人生に重きを置いた他作品にはあまり見られない作風と言えます。
この作品の醍醐味は、「世界の終り(僕視点)」と「ハードボイルド・ワンダーランド(私視点)」という2つのパートがほんの少しずつ交互に語られながら、それぞれの世界が徐々にリンクしていくところにあります。
街に棲む一角獣と博士からもらった動物の頭蓋骨のレプリカ、どちらのパートにも出てくる図書館の女の子という存在など、最初はちょっとした類似点だったものがどんどんとその存在感を増していき、どちらがどちらに付属するのか分からないまま不思議な酩酊観をもたらしています。
物語中盤では「私」の身に何が起きているのかが天才博士の口から語られ、SF的な謎解きのクライマックスを迎えますが、本作の本題はむしろここから。
壁に囲まれ、出ることができない街にいる「僕」という存在は、自分の生き方をせばめて他人とのあいだに壁を作り、表層的には平和で問題なく生きていこうとする我々の人間性を具現化しています。
その「僕」が最後に取った選択はどのような意味を持つのか。
読むたびに違う答えが浮かび、考えさせられる物語です。